介男話 その45 「母の日なんて無い」

シャワー浴びながら気分よく「BTS」の

ダイナマイトをハナ唄で歌ってたんだけど、嫁さんから

「アンタ いい歳して『キラキラ星』歌ってたん?」と言われた・・・。

キラキラ星困惑顔・・・

いや上目づかい・・・

病気の笑顔・・・

BTSだけど悲しい笑顔・・・

キラキラ・・・

全然違う・・・。うらやましいな~うらやましいな~うらやましいな~

という事で介護職(男性)犬の顔が日々感じた事を話す略して介男話です。

前回「5月と言えば子供の日」なんて書きましたが、

そんなこたぁございませんよ

はい、そうです、5月と言えばもちろん「母の日」でございます。

(アブナ~母の日の事忘れてた・・・。)

そういう訳ですから、もちろん「母の日について聞いてみた」のコーナー♡

image

イメージイラスト

(今回は割と似ている!?)

お母さんとの思い出って何かありますか?

➜戦争から帰ってきた父が

 私の7~8才位の頃に死んで、母は仕事ばっかりしてたからねぇ~

どんな仕事をしてた?

➜当時は女の人で外へ働きに行くってのは珍しくて、働く所もあんまり無かったから

 近所の人の仕事を手伝ってた。石清水八幡宮って知ってる?

 弓とか矢じりを作ってそこに納めてたのよ。

「おふくろの味」ってある?

➜母はね、私が10代の時、病気で死んだのよ。病に倒れた時、父はもう死んでたし

 家にはおばあちゃんと私と弟の3人だったから、看病出来なくて、

 母は実家で療養したの。もちろん母の料理も食べてるはずだけど

「これ」っていうのは思い出せない。

大変だったんだね

➜母が亡くなって親戚の人が車で運んでくれたんだけど、

 その時の事は今でもハッキリと憶えている。

 私はおばあちゃん子だったし、おばあちゃんは近所でも評判の人で

 私の自慢だった。だからかなぁ・・・悲しかったと思うよ、その時は・・・

 とにかくその時の事は憶えてるけど・・・。

 他の人の「母親の死」とはちょっと違うと思う。

おばあちゃんが大好きだったんだね

➜昔はね、ようけ子供産むでしょ、私の所も5人兄弟が居たの。でも私以外皆、

 はしか で死んで、それでしばらくして弟が産まれたから

 母は弟をとっても可愛がってたのを良く憶えてる。

 だから私はおばあちゃんによう可愛がってもらってた。

そうなんだ

➜両親の居る近所の子に負けんように必死に育ててくれた、

 着物とかも立派なの買ってくれたし、近所で評判の人だったのよ。

 私が結婚する時、すごく喜んでくれて・・・。

 式にはよう来れへんかったけど、本当に喜んでくれて、

 主人もやさしい人だったから、おばあちゃんの世話もしてくれて

「良い人と結婚したな」ってほめてくれて、、。

 うれしかったし、主人にも感謝してる。

だいぶ話がそれたけど「母の日」についてなんかある?

➜母の日なんて出来たのは最近じゃない?私の小さい頃は無かったとおもうよ。

 今思うと母は大変だったと思うし、感謝してる。

 おばあちゃんは今でも大好きだし、それは「母の日」じゃなくても そうよ