介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。
今回も委員会で配布したコラムを紹介します。
以前おられた利用者の思い出話しです。ひまつぶしにどうぞ♡
委 員 会 が 始 ま る ま で の 暇 つ ぶ し コ ラ ム |
『健康寿命』
今から約100年前の平均寿命はおよそ43歳らしい。
今は大体84歳位なので、ほぼ倍になっているのだが、
最近はさらに「健康寿命」なんて言葉も出ている。
健康寿命ってのは「健康で自立した生活を送れる期間」の事で、
男女の違いはあれど平均寿命との差は9~12年あるらしいので、
人は死ぬ前の9~12年は不健康で自立出来ない生活を送る事になる。
昔は病気になると「治る」か「死ぬ」かだった。
ところが医療の進歩により「死なないけど治っていない」
という事が増え、病気と共に生きる事。
言うなれば病との「共生」という状況が生まれ、
リハビリや介護といった業種が誕生した(と思う)。
つまり僕達の仕事は、利用者の病を理解し、
病との「共生」と手伝う事と言える。
Tさんは50代でリウマチを発症し、
少しずつ身体の自由を失い健康寿命が終わった。
認知症はほとんど見られず、80代で梅林園に入園されるまで30年近く、
家族の助けやヘルパー等により、リウマチと「共生」して来られた方だ。
Tさんはお茶をほとんど飲まなかった。
理由は簡単でトイレに行きたくなるからだ。
Tさんはお風呂を嫌がった。
理由は簡単で手足を広げられると痛いからだ。
ベッドに横になるのも嫌がった。
毎日、今日の夜勤が誰なのか尋ねてきた。
寒い日でもブラウスとチョッキを着たがった。
頼み事をする職員を決めていた。
以前は長髪だったらしいが、とにかく短髪にしたがった。
おやつはチョコレート等は嫌がりビスケットを希望した。
介助すると「ありがとう」ではなく「すいません」と言った。
食事は必ず3割位残した。
寝る時は必ずナースコールを握らせてと懇願した。
息子に「孫を面会に連れて来ないで」と頼んでいた。
職員の動きや表情を常に見ていた。
便薬を飲むのを嫌がった。
これがTさんとリウマチの共生だった。
リウマチと解った時、いつか動けなくなる事を考えて不安で毎日泣いたんだって。
もうすぐ産まれる孫を抱く事も、自分の顔に付いたご飯粒も取れない、
ダルマみたいになるって泣いたんだって。
でも実際ダルマみたいになったら、いかに身体も心も動かさないように
するかだけを考えるから泣く事はもうないって話してた。
「動けなくなると泣いていたのに、
動かないように願っているなんてアホみたいね」と笑うTさんの
笑顔が不自然だったのはリウマチのせいだけではなかった。
長年介護職をしていると利用者の現状と課題が
自分の中である程度パターン化され「人」ではなく
「症状」と「必要なケア」のみを把握し、
そこに至るまでの過程や心情を見ない事がある。
しかし、それらを見ずに利用者と病との「共生」を手伝う事は、
性格の「矯正」と職員都合の「強制」を生むだけで、
過程と心情を知る為には本人やその家族とのコミュニケーションが必要であり、
また、唯一の方法であると思う。
Tさんは何故あの様な生活を送ったのだろうか?
今日接する利用者の過程や心情をほんの少しでも良いので考えてみて下さい。
僕達も9~12年不健康で不自由な生活を送るのだから…
それにしても「健康寿命」という表現はセンスがない。
寿命なんてついていたらネガティブなイメージを生む。
この「表現の仕方」は意外と重要だ。
同じ事をしていても昔は「純愛」と表し、今は「ストーカー」と表すようにだ。
例えば「暴走族」を「おならブーブー団」に変えたら、
「私の彼氏おならブーブー団に入っていて…」とか恥ずかしいし減ると思う。
障害児は「ユニークキッズ」の方がポジティブだし、
老衰は「完遂」の方が頑張った気がするし、
「健康寿命」も「常忙期」に変えて、残りは自分らしくのんびりと…
ってイメージにしたらいいのに。
「Tさんは50代でリウマチを発症し、
少しずつ身体の自由を失い常忙期を終えた」
の方が絶対いいと思う。
おしまい