「コーヒーとアメリカちゃんと頑張るメガネさん」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男

話」です。

今回のコラムは今でも時々思い出すエピソードです。

ひまつぶしにどうぞ♡

委員会が始まるまでの暇つぶしコラム

『コーヒーとアメリカちゃんと頑張るメガネさん』

 最近、朝食の飲み物を娘に聞くと、次女は必ず「コ

ーヒーちょうだい♡」と返ってくる。ホットミルクに

ちょこっとコーヒーを入れ、たっぷりのお砂糖を入れ

て出す。コーヒーは大人の飲み物というイメージの次

女は「コクが深い!」なんて言いながら、得意げに飲

んでるんだけど、こんな時ふと思い出す利用者がいる…

 「コーヒーおくれ!」寮母室(昔はこう呼んでいた

)に独特なガラガラ声が響き渡る。入口でシルバーカ

ーの上にコップを置き、Yさんが立っている。「了解

」と返事をし、冷蔵庫から預かっている1ℓパックのコ

ーヒー(あのめっちゃ甘いやつ)をコップに注ぐ。 1

日5~6回来るからB棟で働く職員は皆「はいはい、ま

た来たのね」といった所だ。

 このYさんは女性なのだが、丸太の様な風体で、ギ

ョロッとした目、虎刈りの様な髪型、短気で、パンチ

が強く、職員を「ウス」とか「ゴンボ」とか独自のあ

だ名で呼び(僕は「メガネさん」でA主任は「ニコニ

コ」)、僕の彼女(今の嫁)が働いている時は「アメ

リカちゃん」と呼びかわいがってくれていた。また「

自分の事は自分でせなアカン」と強い意志で生活し、

それが出来る人だった。

 「はいコーヒー」「おおきに、身体に気ぃ付けて、

アメリカちゃん大事にせなアカンで」僕と接する時、

必ずこのセリフを言う。偏屈で頑固者だから内心腹が

立つ時もあったけど、このセリフが社交辞令ではなく

本心からだと解るから、僕はこのセリフを聞くのが好

きだった。

 Yさんは「やっちまった時」とかに、ニタァとし

た不器用な笑顔を見せる。くわえタバコで清拭を畳

んで清拭を焦がした時、カッとなり他の利用者とト

ラブルになった時、僕が冗談を言った時なんかもそ

うだ。笑顔の似合わない女性を見たのは後にも先に

もこのYさんだけだ。

 僕は人事異動でYさんとは別の棟で働く事になった

んだけど、B棟の廊下で会うと必ず「コーヒーおくれ」

って来て、「身体に気ぃ付けて、アメリカちゃんを大

事にせなアカンで」と言ってくれた。その内Yさんは

丸太の様な身体を自分の足で支えられなくなり、車椅

子となった。自分で何でもしようとするからよく転倒

し、身体の色んな所にアザを作る様になり、おでこに

でっかいアザを作った時なんかニタァとした不器用な

笑顔を見せ「身体に気ぃ付けて、アメリカちゃんを大

事にせなアカンで」と言うから「自分の身体を心配せ

ー」とつっこんだりもしていた。その内仕事も忙しく

なり、Yさんと廊下で会う事もなくなった。会わなく

なってから数ヶ月後、Yさんが入院したと聞いた。結

構長い間入院していたんだけど、退院するって聞いて

、アメリカちゃんと結婚もしたし、久しぶりに会いに

行った。しかし、そこには僕の知るYさんは居なかっ

た。病気の為片足は切断され、丸太の様な身体は痩せ

細り、何でも自分でしてきた両手は木の枝の様に力な

くただそこに置かれ、頬もこけ、小さく息をしている

人がそこには居た。

 何て声を掛けよう…僕の事憶えているとは思えない…

なんて考えていると、ベッド上の「Yさんみたいな人

」と目が合った。…ニタァとした不器用な笑顔をした…

それはまぎれもなく、Yさんの「それ」だった。その

瞬間Yさんとの思い出が頭をめぐり、想像すら出来な

いその笑顔の裏側を考え胸が締め付けられた。そんな

僕にYさんは力なくボソボソと何か言った。それは音

として僕の耳には届かなかったが、僕には解った。僕

だから解った。「身体に気ぃ付けて、アメリカちゃん

大事にせなアカンで」Yさんはそう言った。僕の心に

は確かに届いた。丸太の様な身体も自己中な行動もに

くたらしい言葉も、もうそこにはなかったが、ベッド

で片足の無い痩せ細っているこの人は、どんな状況で

も本気で僕の心配をするこの人は、変わる事のない何

かを持ったYさんだった。

 この日の事を思い出すと今も心が熱くなる。介護職

として仕事として不適切で不要かもしれないけれど、

僕はこの感情のゆらぎは大切にしている。「いずれ皆

何も出来なくなって死ぬ」だからこそ、今出来ること

、それが職員にとって都合が悪い事であっても、大切

にしなければいけないと思う。このコラムにメッセー

ジ性はない。ただの思い出話しだ。でもほんの少しだ

け考えてみてほしい。なぜ立ち上がり、なぜ転倒する

のか。なぜ寂しいのか。なぜ失禁するのか。なぜオム

ツ外しするのか。なぜ食事をこぼすのか。なぜ家に帰

りたいと言うのか。今も僕の頭の中にはあのガラガラ

声で「身体に気ぃ付けて、アメリカちゃんを大事にせ

なアカンで」が残っている…

 長女は10歳で、もうとっくに自分で飲み物を用意出

来るのに、毎朝僕が用意をしている。自立心?父ちゃ

んがいつまでもしてげたいんだよ…

 あ、それとYさん、アメリカちゃんにもメガネさん

大事にしろって言ってよ。結婚して10年経ったら、ア

メリカちゃんは「北極さん」になったよ。

おしまい