「父」

【内容】

 介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男

話」です。

今回は接遇向上月間という事で、委員会にて配布した

コラムになります。ひまつぶしにどうぞ♡

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『父』

 僕は子供の頃に父親と遊んだ記憶が無い。それどこ

ろか、朝7:00頃仕事に行き、夜22:00頃帰ってくる父と

は接する機会すらほとんど無かった。そういうもん

だと思っていた。そんな状況だったからか、父は僕

ら子供との接し方というか、距離感というか、そう

いうのが解らず、例えば僕に注意しようとしても母

に向かって「まさしに◯◯しなさいって言いなさい

」と母を通して言うのだ。だから当然父と僕には薄

らとした気まずい壁が出来上がっていた。

 僕は18歳の時家を出て(千葉→福井)1人暮らしを

始めたのだが、出発の日、母と妹は「寂しくて泣い

ちゃうから見送りに行かない」と泣きながら話し(

もう泣いてるやん)父が車で東京駅まで送ってくれ

る事になった。もちろん車内では無言。ボソッと「

天丼でも食うか」と言うと、蕎麦屋に立ち寄った。

それぞれ注文し食べ始めるのだが、父はサッサと食

べ終えてこっちを見ている。1,600円位した天丼なの

に、サッサと食えというプレッシャーを与えてくる

。相手のペースに合わせるといった気遣いや思いや

りのないオッサンなのだ。僕も急いで食べ終えた。

その後見送りといっても、別れ際は「じゃ」と「お

う」だけだった…

4月から1人暮らしを始め、夏休みはバイトに明け暮

れ、9月の平日に日帰りで家に帰った。当然父は仕

事で妹は部活の合宿だったので、家には母だけだっ

た。母に大学の事やら1人暮らしの生活の事なんか

を一通り話し、まぁ父は22:00頃まで帰ってこない

し、15:00頃帰ろうと家を出たら、ひょっこり父が

帰って来た。「もう帰るのか」「まぁね、明日も

バイトだし」「コレ電車で食べなさい」とミスター

ドーナツの箱を渡してきた。そしてまたあの時と

同じ様に「じゃ」と「おう」で別れた。

 駅のホームで電車を待ちながらドーナツの箱を

開けると3種類のドーナツが3つずつ入っていた。

「3人でお茶をしようと会社を早退してきたんだ」

そう思うとなんだか泣けてきた。「一緒に食べよ

う」と言えない不器用な父に対し、サラッと別れ

た自分が本当に愚かに思え、「1人で9個も食べら

れないよ」と駅のホームで泣いた。

 それから時は経ち、僕も父親となった。ある日娘と

マックに行った時、僕はサッサと食べ終わり、娘が

食べている所を眺めていた。本当に美味しそうに食

べていて、その仕草が愛おしいのだ。ところが娘が

突然「父ちゃん急がせないでよ」と言った。父はあ

の時天丼を食べている僕を見ていたのだろう。大き

く育って、1人暮らしを始めるんだなぁなんて考えて

いたのだろう。気遣いや思いやりがないのは僕の方

だった。「すごく美味しいよ」の一言でもなんで言

わなかったのだろう。最寄駅ではなく東京駅まで送

ってくれたのは、一緒に食事をする為だったのだろ

う。僕は両親と離れた所にいるし、姉も妹も嫁にい

っているから、恐らく父は将来施設に入るのだろう

。今72歳だからこの10年以内の事だ。もし父が施設

に入って、職員がタメ口で人権を無視する様な対応

をしていたら、僕は本気でブチ切れるだろう。僕の

父は僕を育てる為に、朝から晩まで何十年も働いて

くれた大切な人だからだ。でもそれは、今、目の前

に居る利用者も、これを読んでいるあなたも同じな

のだろう。そんな事を接遇向上月間に想ふ…

(おまけ)

これを読んでいると高倉健みたいな寡黙で渋い人物

をイメージするかも知れませんが、僕の父の見た目

は鶴瓶と西田敏行の間です。