令和4年6月お誕生日会

 近畿地方が早くも梅雨明けし、猫にとっても人間

にとっても厳しい暑さが続く為、体調管理に注意を

しなくてはと思う行事委員の叶です。

6月の誕生日会が行われ、ウクレレ奏者のK課長の演

奏に合わせ、誕生日の曲や6月の歌「夏は来ぬ」をみ

んなで歌って誕生日をお祝いさせて頂きました。

 今月はめでたい事に「100歳」になられる方が2

名もいらっしゃいます!!丁度誕生日会の日に100歳

を迎えられたHさんは

「自分がまさか100歳を迎えられるとは思っても見な

かった。故郷の舞鶴のトレトレセンターの魚が食べれ

るようにこれからも長生きしたい!!」と元気にお話

をしてくれました。

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 これからもお元気で長生きをして頂けたらと職員一

同願っています(^^)/

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Ⅿさんも、ご家族様からの誕生日プレゼントの服を着

用されておりとても素敵で似合っていました♪♪

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6月生まれの皆さん♪本当におめでとうございます

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「社会人のマナー」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

今回も委員会で配布したコラムですが、

ある御利用者との思い出です。ひまつぶしにどうぞ♡

委員会が始まるまでの暇つぶしコラム

      『社会人のマナー』

いつものように仕事をしていたら、PHSに相談員から連絡が入った。

「入院中のSさんが亡くなった」との事。

僕はいつもの様に仕事をする。

企画部に行き、次の入園者について話し、

何日かしたらSさんの家族が引き継ぎの為に来園されるから、挨拶に行く。

この時神妙な顔を作り、お亡くなりになった事を

悔やんだフリをするのが社会人のマナーなのだ。

Sさんは明るい性格で、声を掛けるとその返しがユニークだった。

「もう夜やで。」というと「アラそう、一緒に寝る?」とか、

「朝ご飯やで。」なら「アラ嫌だ、メイクがまだよ。」

なんて具合だ。

Sさんは僕が棟のリーダーをしている時入園された人で、

僕達は利用者の入園までの経緯を「生活歴」の欄を

読む事で知る事が出来る。Sさんの生活歴には

「横浜で軍人である夫と結婚し、

夫からかなりの暴力を受けていた」と

壮絶な出来事が一文にまとめられていた。

この一文の中身を想像すると、そんな事を感じさせない

彼女の明るさ(下ネタが多かったケド)は

強く気高いものだと感じるには充分だった。

Sさんには一人娘が居たが、保証人は娘婿で、

第二、第三保証人もそれぞれ孫であった。

入園当初、娘さんは頻回に面会に来ていた。

面会に来ると居室の掃除をしたり足のマッサージをしたり…

僕が一度

「細目に面会に来て下さりありがとうございます。」と言ったら

「大変な父の為、母はいつも苦労していたんです。

だからもう大好きな母に苦労させたくないんです。」と

母親への愛情をストレートに伝えてきた。

僕はその時まだ娘さんの想いを知らなかったので

そのストレートさに珍しさと羨ましさを抱いた。

そんな中でもSさんは、居室で転倒したら

「ベッドの下にイイ男が居ないかなって思って…」とか

「今は朝?夜?昨日の夜激しくって解んなくなっちゃって…」とか、

少しずつだが確実に、肉体も頭脳もその機能が低下し、

その事を自覚していたが、彼女の強さが冗談で包み明るく見せていた。

Sさんの生活歴の所にはもう一つ記入されていて

「一人娘が居るが身体が弱く介護が行えない」といった内容だ。

娘さんはいつも夫婦で来て旦那さんは

居室前のソファに座ってボーッとしていて、

娘さんがSさんの所に行って話したり掃除をしたりしていたのだが、

そのボーッとしているはずの旦那さんが僕の所に来た。

「入園する前から妻は癌であった。だから母親を施設へ入れた。

治療をしていたが再発した。治る見込みはない。」との事。

僕はストレートに大好きと言える理由がほんの少しだけ解った。

居室では親子水入らずで「お母さんどう?」

「ここは男前が少ないから嫌になっちゃう。」

なんていつも通りの会話をしているが、確かに娘さんは痩せている。

旦那さんは「今日を最後の面会にしようと話し合って来た。

どんどん痩せて弱って行く姿を見せて心配させたくないから。」と言った。

娘さんはSさんに笑顔で「またね。」と言って立ち上がり、

背を向けた瞬間、堪えていたであろう感情があふれ泣き出していた。

顔をクシャクシャにして大粒の涙をこぼしながらも、

後ろにいるSさんには決して解らないよう振る舞い、

僕にいつものように「お願いします。」とだけ言うと、

いつもはエレベーター前で見送るSさんに手を振りながら帰るのに、

見送ろうと必死に車椅子をこいで

Sさんが後ろから来ている事を知っているのに、

そそくさと帰って行った。

「アラ、愛想の無い子ねぇー、誰に似たのかしら。」

と言うSさんに「親の顔が見たいよ。」と返すと

「アンタともう1人作ろうか。」なんて話していたが、

心の中では「娘さんはSさんに似てとても強い人だよ」と

感動しつつも、こんなSさんとの明るい会話に助けられ、

僕は介護のプロとして笑顔でSさんの横に居る事が出来た。

しばらく経ったある日、相談員から

「Sさんの娘が亡くなったが、本人には伝えない意向である」

との連絡が入った。

僕達は意向を申し合わせ伝えなかったのだが、

ある日、僕はSさんと何かの会話の流れで

「子供は宝」みたいな事を話した時、

Sさんは「私の娘は最近全然顔を見せないのよ。

この間来た時だいぶ痩せていたからもう死んじゃったのかしら。」

と冗談を言った。…というか、冗談だったのか、

全てを理解した上での彼女の強さだったのか、

最後の面会の時よりも認知も進行していたし、

解らないし、確かめようもない。

僕は管理職となり日常的にSさんと関わる事が減り、

Sさんと最後に交わした会話は

「嫌ね私ボケちゃって、その内何も解らなくなって、

娘の旦那に手を出したらどうしよう。」という「らしい」会話だった。

Sさんは亡くなった事で娘さんとの

「またね」を果たしている事だろう。

今頃娘と2人で御主人をボコボコにしているのだろうか…

いやSさんはそんなに弱くないか。

「アンタで我慢するか!」なんて冗談を言って

親子3人で一緒に居るんだろうなーなんて、

そんな事を考えるとほんの少しだけ胸がクッとなるが、

油断すると少しだけ顔がニッとなってしまう。

だから家族に挨拶をする時は

神妙な顔を作って亡くなった事を悔やむフリをしなければならない。

それが社会人のマナーだから…

                         おしまい      

                    (I’m so happy that I met you♡)

夏越の祓をしまSHOW

ビニール傘を買っても直ぐに子どもたちに紛失され

る行事委員の叶です。

たくたく会にて「名越の祓」をさせてもらいました

。園長が神主となって皆さんの無病息災を祈ってお

祓いをしつつ茅の輪を潜ります♪

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本来ならば野外のたくたく広場にて、シャボン玉等

で楽しみつつ、外の空気を吸いながら楽しんで頂き

たかったのですが残念ながら梅雨時なので雨☆

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しかし、カラオケをしたり、各棟が作成した「傘の

装飾コンテスト」に投票をしたり、さくらんぼゼリ

ーとコーヒーのおやつを召し上がられたりで最後に

茅の輪を潜る時、皆さんニコニコと良い表情でした

(^^)/

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梅の収穫

「命婦のおとど」を毎日愛でる事が出来るのであれ

ば后の位も何にかはせむと思う行事委員の叶です。

 平安時代から梅干しとして食されていた梅!6月

は梅の収穫時期です(ちなみに6月6日は梅の日で

す)梅林園の梅も丸々と太って実っており、利用者

さんと梅の収穫をしました。利用者さんの中には若

い時から梅取りをしてきた方も沢山いるのでお誘い

すると皆さん

「行きたい」

「梅取りは得意なのよ」

と張り切って参加して下さり、山盛りの梅の収穫が

出来ました(^^)/

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収穫したばかりの梅は香りも良く、それぞれ

「ええ香りやわ~。外もあったかいし最高やわ」と

楽しんでくださいました。

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「手」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

今回も委員会の時に配布したコラムの紹介です。

昔、利用者から聞いた、今では考えられない出来事です。

本当に僕なんかの文章じゃ伝えきれないんですが、ひまつぶしにどうぞ♡

委員会が始まるまでの暇つぶしコラム

        『手』

僕がまだE棟のリーダー補佐をしていた頃の話。

利用者Bさんの車椅子肘置きに手を置いていたら、

Bさんは僕の手を撫でながら

「キレイな手ね、女の人みたい」と寂しい顔をした。

そんなBさんを笑わそうと、僕は

「今なら30分手を触り放題5万2千円のコースがあります」

と冗談を言った。恋愛中です

Bさんは「100万円でも払うわ」と笑いながら

僕の手を握り話し始めた。

私の生まれた所は田舎で人手も少なく、

子供も私と近所に住む同い年の男の子

「たっちゃん」の二人だけだった。

学校は遠く、山を越えなくちゃ行けないんだけど、

今みたいに外灯なんかある訳ないから真っ暗になるし大変だった。

たっちゃんと手を繋ぎおしゃべりをしながら学校に通っていた。

温かくて優しい手だった。両手

でも今思うとよくもまぁあれだけ毎日毎日話す事があったなぁと思う。

(この時笑ったBさんの顔は子供の様だった)笑顔

学校以外でも卒業してもずっとたっちゃんと一緒にいた。

たっちゃんしか居なかったし、好きだったのかどうだったのかも解らん。

川に行ったり山に行ったり、お互いの家の手伝いをしてた。

18歳の時、たっちゃんの所に「赤い手紙」が届いた。

解る?兵隊として呼ばれたの。上目づかい

皆、お国の為に働けるって喜んでたけど私は悲しかった。

でも皆も本当に喜んでいたのかなぁ?

今思うと解らん。

たっちゃんが出発する前日の夜、

私が「たっちゃんと一つになりたい」って言ったら、

たっちゃんは私の頭をポーンと叩き、

「帰ってくるから…」と笑った。

(そう少し照れながら話すBさんの表情は

これまで見た事のない表情だった当惑した笑い。

それからしばらくして父から、結婚の相手が決まったから

二つ山を越えた村まで嫁ぎに行きなさいと言われた。

昔は結婚相手を自分で選べる時代じゃなかったから

私は結婚し、その人の赤ん坊を産んだ。

赤ん坊がまだ生まれて一ヶ月位の時、

家であやしていた時誰かが訪ねてきた。

ドアを開けた瞬間びっくり、そりゃあもう

心臓が止まる位おどろいた…たっちゃんだった…

子供を抱いたままびっくりして何も言わない私に

たっちゃんは「抱っこさせてくれ」って

赤ん坊を抱っこしたんだけど、右手の指が2本位無かった。

アンタ(僕)みたいにキレイな手だったのにボロボロだった。

「お前の小さい頃によく似てる」

それだけ言うとたっちゃんは帰って行った。

それから一度も会っていない。

今はもう、たっちゃんの本名も思い出せない…

その内全部忘れるやろな…

そう言うといつものBさんの顔に戻った。

僕達が生きる今の時代は

本当に多くの人の様々な想いや努力、苦労の末にあるのだろう。

Bさんの居室には優しく笑うご主人の遺影が飾られていて、

あの時の赤ん坊は両親の愛情に包まれ成長し、

月に1回位面会に来ては、互いの事を心配し親子喧嘩をしていた。

Bさんは数年後寝たきりとなり、皮膚が乾燥し痒みがあり、

オムツをよく外すから、その度に「オムツ外したら汚いでしょ」と

職員から言われていた。

会話も出来なくなり、全部忘れてしまったのか解らないが、

僕は利用者一人一人に歴史があり、

唯一無二の存在である事を改めて気付かせてくれたBさんに感謝し、

「30分触り放題コース」の5万2千円は請求しなかった。

Bさんがお亡くなりになり、E棟の静養室で

子供さんが握っていたBさんの手は、

シミだらけでシワシワでボロボロの、とてもキレイな手だった。

                      おしまい♡

地域交流

利用者様といつも笑顔で。。。がモットーの

相談員 水野です。

5月のたくたく会で利用者の皆さんと野菜等

を使って、スタンプを押して作品を作成した

ことは、ご報告させて頂きましたが、その作

品を、地域の保育園・幼稚園・小学校・支援

学校等に、梅林園からのまた会える日に向け

ての招待状として、お渡しさせて頂いており

ます。

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今回は、八幡支援学校の先生と生徒さんに、

利用者様と一緒にお渡しさせて頂きとっても

、喜んで頂きました。

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コロナが落ち着いて、直接の交流が出来るよ

うになるまで、また、せっかくできたご縁を

絶やさない様、交流を続けていきたいと思い

ます。

4月、5月合同お誕生日会

人生の折り返し地点はとっくに過ぎ去っていますが

、やりたい事3分の1も終わっていない行事委員の

叶です。

4月、5月合同のお誕生日会が行われ、当日お誕生日

の方3名を含む沢山のお誕生日の方のお祝いをさせて

頂きました(^^)/

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「そっくりやなぁ!ええのもらったな」と他の誕生日

の方が、プレゼントで貰った絵をのぞき込んでプレゼ

ントの見せあいをされる方

「大好きな(美空)ひばりちゃんと誕生日が近いのよ

」と嬉しそうな方

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色々な方をみんなでお祝いさせて頂き、最後に5月の歌

「茶摘み」を歌い、楽しい時間を過ごしました♪♪

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本日のお誕生日ケーキは、抹茶ケーキです!ほうじ茶ラ

テと一緒におやつの時間に栄養課さんから提供させて頂

きました(^^)/みなさん美味しそうでした☆

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4月、5月の皆様本当におめでとうございます。

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価値観が合わない

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

介護の様な対人援助職をしていると、どうしても突発的な事があったりして

委員会とかの時間にピッタリと全員が集まれない事もあります。

そんな時のヒマつぶしにコラムを配布しているのですが、

まぁオマケ程度なので読んでいる人も読まない人も、

感想とかのリアクションも無い訳で…

そんな訳でここに掲載しているのです。ひまつぶしにどうぞ♡

委員会が始まるまでの暇つぶしコラム

       『価値観が合わない』

僕は数年前、管理職となった。といっても、

サナギから蝶に変わるような劇的な見た目の変化はある訳もなく、

自身のあり方や周囲から求められる事が変わるだけだった。

そもそも僕は、課長とか次長と聞くと、

バーコード頭のオッサンをイメージしてしまう世代であるが、

今の所オッサンではあるがバーコード頭ではない。

(誰がオッサンやねん!!)幸運

この「何をイメージするか」という事は、

人の価値観を左右するからタチが悪い。そんな話。

僕がまだ学生で、実家で生活していた頃、エアコンは「贅沢品」だった。

TVのニュースで生活保護を受けている人が

夏の暑さで亡くなったという事件が報道され、

コメンテーターは「生活保護の人がかわいそうだ」

「なぜエアコンを許可しなかったのだ」等、

生活保護者をかばう声が飛び交う。

「おもいっきりTV」でみのもんたが

「ひじきは体に良い」と言えば一週間ひじきを出し続ける母が

それを見て息巻くのは当然の流れで、僕が学校から帰宅するなり、

母は行き場のない怒りを僕にぶつけてきた。

生活保護を受けている人は所有してはいけない物、

いわゆる「贅沢品」が決まっていて、

そこにエアコンが含まれていて(あくまで当時の話)

生活保護者がかわいそうだと言う。

母は働きたくても働けない、ボロボロの服を着た

おばあさんを生活保護者としてイメージしているらしいが、

ニュースを見ていない僕は、お金が受給されるなり酒を買いに行く、

働く気のないオッサンをイメージした為、かわいそうだとは思わなかった。

そんな僕に母は「あなたは一生結婚できない」と言い放った。

(結婚出来たし!!)皮肉な笑い

この時、僕と母は「生活保護者の死」という事実に対して、

その人をイメージして想像の中で会話をしていたのだ。

「価値観が合わない」なんて時は、

このイメージからの「仮説の立て方」(~だったのだろう等)が

全く違う時なのだと思う。

今までどんな経験をしてきて、どんな物の見方をするか。

それは「正しい」とか「正しくない」とかの問題ではなく、

「どんな仮説を立てるのか」だけ。

そして仮説は事実が分からない限り、どんな物でも「可能性がある」のだ。

それでも人は、自分の仮説が「正しい」と思ってしまいがちだ。

自分の価値観を「正しい」と思って過ごしているのが一番楽だし、気持ちが良い。

だから違う価値観の人と出会ってしまうと

「あの人は間違っている」と攻撃したくなってしまうのだろう。

自分の考えは「正しい」のか、「可能性がある」のか。

相手の考えは「正しい」のか「可能性がある」のか。

一度冷静に深呼吸をして考えてみて欲しい。

一週間ひじきが出続ける事が、どれだけつらいのかを・・・

              おしまい。   

大地震が来る日まで待つ理由

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

今回は2~3年前の委員会で配布したコラムですが、

職員Kさんとの思い出話です。

Kさん、僕もう40超えて娘も二人共大きくなりました。

いつかまた飲みに行きたいですね。

それではひまつぶしにどうぞ♡

委員会が始まるまでの暇つぶしコラム

       『大地震が来る日まで待つ理由』

みなさんは「プラシーボ効果」を御存知でしょうか?

ラテン語の「喜ばせる」という意味のプラケーボが語源で、

何の効果もない物を薬として処方し、患者が治ると信じ込んだら

本当に効果が出るといった「思い込みの力が状態を変化させる」現象の事を言います。

臨床心理学では、どの心理療法の技法を使うか、という事よりも、

クライアントとセラピストの信頼関係の方が

治療効果に影響を及ぼすなんて考えもあるらしい…

昔、Mさんという利用者が居た。

パッと見はいわゆる「施設に入っている高齢者」という感じがなく、

普通のおばちゃんで、会話もしっかりと行える人だった。

(話をしばらくしていると「アレ?おかしいな」と感じられますが)

Mさんは不眠症で眠剤が処方されていた。

毎日19:00頃から「薬まだ早いか…?」「まだ早い8時まで待って」の

やりとりが3回位あって(早く飲みたがるのです)

20:00に薬を渡すと「これがないと眠れへんねん」というのが日課だった。

ところがある日、理由は忘れたが眠剤が中止となり、

次の受診日まで眠れるかどうか様子を見る事となった。

その初日、夜勤に当たったのが勤続1~2年目の僕だった。

いつも通り19:00頃「薬まだ早いか?」と来たから

薬はない事を伝えると「そんなん眠れへんやんかー」と訴えてきた。

その後も何度もやって来て「頼むわー薬おくれー」と繰り返し、

段々僕が意地悪して薬を飲ませていないような構図となっていき、

実際、翌朝出勤した職員に「あの兄ちゃんが薬くれへんから一睡も出来ひんかった」と話していた。

(ちなみに当時夜間看護師はいなかった)

以降Mさんは夜眠れず眠剤を職員に訴え続け、数日後また僕が夜勤となった。

共に夜勤をする相方はKさん(女性)。

このKさんは目つきと口は京都でも5本の指に入るほど悪いが、

気立てが良く、利用者を1人の人間として普通に接し、

利用者とよく世間話をするから利用者から人気があった。

19:00を過ぎ「今日も薬ないんかー」と暗い表情でMさんが来た。

僕は内心「うわーまた一晩中続くのかー」と思っていたら、

Kさんが「まだ早い、8時まで待って」と言った。

「Kさん眠剤中止ですよ」と僕が言うと、

「何言ってんねん、薬あるでー8時な」とMさんにもう一度言うと

Mさんはさらに表情を硬くして「絶対やで、頼むで」と一旦引いた。

20:00になるとK川さんはコーヒー用の粉末クリームを紙で少量くるみ、

「これ飲んだら朝までグッスリや」とMさんに渡し、

Mさんは「喜んで」それを飲んだ。

しばらくして様子を見に行くとグッスリと眠っていたから、

寮母室に戻ってKさんにその事を伝えた。

大股を開いてイスに座り、タバコをふかしながらニヤリと笑い

「薬が欲しい言うてるのやから何でもえーから白い粉渡しといたらええんや、可哀そうやろ」

と話すKさんはまるで仁義のある菅原文太の様だった。

Kさんがプラシーボ効果を知っていたとは思えない。

ただ「眠剤なしでも寝られるか」という事にしか注目していなかった

他の職員と違い、「薬がないと不安」で

「不安で過ごしているのは可哀そう」という、

職員というより1人の人間としての道徳心から工夫し行動をしたのだ。

そしてMさんが服用していた眠剤は錠剤であったが、

日常的な関わりの中で信頼関係を築けていたからこそ、粉末であっても信じ込み、

効果があったんだと思う。

その後Mさんには偽薬としてラムネを1個飲んでもらう事となり、不眠になる事はなかった…

ちなみにこのKさんには独身で1人暮らしの頃とてもお世話になり、

僕の結婚式にも来て頂き本当に感謝しているのですが、

ある日仕事が終わり寮母室に戻ると「送ったるから1分で着替え」と

送ってくれる事となり、帰り道うどん屋で夕食を奢ってくれた。

(当時バス通勤だった)

ところが1杯だけとビールを飲み始め、結局5~6杯位飲みやがった。

帰る時「車の運転大丈夫ですか?」と聞くと

「あんなん飲んだ内に入らへん、早よ車乗り」と車を走らせた。

(15年以上前の事ですから…)

ところが駐車場を出てすぐに「アカン酔っぱらって真っ直ぐ走られへん」と言い出し、

「センター線に沿って走るからアンタ対向車きたら知らせて」と

ムチャクチャな事を言い出し、307号線の真ん中を走り始めた。

僕は対向車が来ない事を祈りながら、死ぬ思いで対向車が来たらKさんに知らせ、

家に帰った時は全身汗ビッショリだった…

僕はその日から大地震が来たらどさくさに紛れて

Kさんをシバこうと心に決めている。

だからKさん、その日が来るまで身体に気を付けて元気に働き続けていて下さい。

                      おしまい

                   (無くそう飲酒運転)

たくたく会~あなたに届け恋のぼり~

大人のスタンプラリー「御朱印帳」が3冊目に突入した行

事委員の叶です。

5月のたくたく会は、鯉のぼりとかけて「~あなたに届け

恋のぼり~」という事で利用者さんに野菜や、ヨーグルト

のカップ、段ボール等、様々な素材のスタンプで「あるも

の」を作成させて頂きました(^^)/

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 皆さんそれぞれに、個性豊かな作品を制作し、最後に全

員で5月の歌を歌ったり、鯉のぼりの形のお菓子を頂きま

した。

 「これ楽しいわ!」と思いもよらなかった技術を発揮さ

れた方

 「綺麗に出来たわ」と満足な方

 「こんな可愛いお菓子あるんやね」とジュースとお菓子

を堪能される方

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皆様、新緑や鯉のぼりを愛でながら、楽しい時間を過ごさ

せて頂きました♪

作成した作品は、地域の皆様にプレゼントさせて頂けたら

と思います(^^)/

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