母の日に子供達から猫の紅茶セットと花束を貰った幸せ者
の相談員、叶です。
母の日にご家族様から利用者様にプレゼントが届きまし
たので一部を紹介します(^^)/
「娘が送ってきてくれるなんて思わなかった♡」と感動し
て涙ぐまれた0さん。
「うちの息子はセンスがいいから」とⅯさん。
「うちのひ孫が一番可愛い」と同封された写真を見て笑顔
のSさん。
皆さんとっても喜んでおられました♪♪気持ちはしっかり届
いております。いつもありがとうございます。
この度、当園グループホーム・特養の一部におきまして
、新型コロナウイルス感染が確認され、山城北保健所にご
指導いただき、感染拡大防止に努めてまいりましたが、4
月29日を持ちまして、待期期間の終了及び、新たな新型
コロナウイルス感染の発生がないことを確認しましたこと
をご報告させて頂きます。
ご利用者様、家族様ならびに関係者の皆様には、ご心配
・ご迷惑をおかけいたしましたが、引き続き利用者様の安
心・安全に努めてまいりますので、ご理解・ご協力の程よ
ろしくお願いします。
特別養護老人ホーム梅林園
園長 藤原 寛直
介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。
今回も委員会にて配布したコラムを掲載します。
20年近く前の利用者の話ですが、「もっとこうするべきだった」
「あぁしとけば良かった」等、思う事ってたくさんあります。
ひまつぶしにどうぞ♡
委員会が始まるまでの暇つぶしコラム |
『 日 課 』
姉も僕も18歳の時、1人暮らしを始めた。
妹が18歳になり、同じように1人暮らしをする事になり、
父と母の2人になったら寂しいだろうと、
姉が両親に茶色でウェーブのかかった毛の長い小型犬をプレゼントした。
姉はオシャレな自分に酔うタイプなので、
その犬を「フラフィー」とオシャレに名付けたが、
母はアホなのでカタカナは憶えられず、
その見た目から「ヤキソバ」と呼んでいた。
母は毎日夜21:00頃、父の迎えも兼ね河川敷をフラフィーと散歩をしていたのだが、
ある日何かに興奮したフラフィーがすごい勢いで逃げ出した。
当時50代であった母は当然追いつける訳もなく、
父が母を見かけた時にはフラフィーの姿はなく、
息子の高校の時のジャージを着たオバちゃんが
夜の河川敷で「ヤキソバー」と叫びながら必死に走っている所でした。
「鉄格子のついた病院に送られるからやめなさい」と母を諭し、
2人でしばらく河川敷に座っていたらひょっこりフラフィーは戻ってきた。
今回はそんな話。
(どんな話やねん)
Oさんは夜19:30頃から決まって不穏になる。
職員のあとを追いかけ「ウチどーしたらええの?」とずっと繰り返し訴える。
「心配ないから」とイスに座って頂いても、おしぼりたたみをして頂いても
「こんな事してられへん、ウチどーしたらええの?」といった具合だ。
その時間はちょうど日勤が帰り、排泄介助や就寝介助に回る時間で忙しく、
当時B棟へ移動したての勤続2~3年目だった僕は、先輩から
「その内あきらめるか、疲れたら寝るから」と教わった。
毎日続くから19:00にPトイレを設置するAさん、
19:30に不穏になるOさん、20:00に点眼するBさん…と、
職員の認識は不穏である事が日常化し、特記事項ではなくなった…。
10年以上前の出来事で、その後Oさんがどの様になられたか思い出せないが、
あの不安気な表情で毎夜「ウチどーしたらええの?」と訴えていた事はすごく憶えている。
今の僕がOさんに思う事は、原因が解らなかったが、
本人にとっては上手く表現出来ないだけで何か意味があったのだと思う。
例えば記憶の逆行性喪失※が起きていて、過去19:30位に大切な何か、
もしくは、ライフワークとなっていた何かがあったのではないだろうか。
僕は毎日朝7:45に仕事の為家を出るので、休みの日でも時計を見て
7:45だとほんの少し心がザワつく。
これと同じ事なのではないだろうか?
Oさんは毎日19:30娘の塾の迎えに行っていたとしたら?
19:30にお父さんが帰って来ていたとしたら?
もし知る事が出来たら不穏を和らげる言葉を見つける事が出来たのではないだろうか。
不穏となる19:30の一点を見るのではなく、過去・現在をつなげ、線で見る事が必要で、
他職種・家族の線も加われば「面」になる。
これが大切なのだと今は思う。
認知症であっても考え方の仕組は同じで、知る事が出来るかは別として、
必ず要因はあり、知る努力をしなければ絶対に糸口は見つからないのだと思う。
もし僕の母が施設に入る事になり、
職員から「夜21:00になるとフラフラ外に出ようとするんです」と聞いたら
「その時間は犬の散歩がてら父を迎えに行っていました」と伝えようと思う。
皆さんも一度、困っている事を家族に聞いてみて下さい。
ヒントがあるかも知れません…
しかし子供の頃は母親が個性的で困っていたが、
まさか大人になってコラムを書くネタになって感謝する日が来るとは夢にも思わなかった。
本当に、当時は困っていたんですよ。
皆さんは経験した事がありますか?
二段弁当が二段共、白米だった事が…(姉はどっちもおかず)
※記憶の逆行性喪失→現在から過去にさかのぼって忘れていく症状で、
自分の中では昔の世界に戻っている状態
おしまい。
介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。
今回も委員会で配布したコラムを掲載します。
2~3年前のコラムですが、ひまつぶしにどうぞ♡
委 員 会 が 始 ま る ま で の 暇 つ ぶ し コ ラ ム |
『 目 標 』
先日、支援学校の生徒3名を職場体験として受け入れた。
以前にも書いたが、僕は『障害児』という言葉がキライだ。
どんな能力と形態をしているか、だけの問題であり、
それは「僕の足は2本だがタコは8本ある」というのと同じレベルだと思うし、
どの様に自分の有している物で生活するかという事に対して、
本人が不自由を感じる事があっても周りがそれを障害と決める必要はないからだ。
(不自由を感じていないケースもあるし)
乙武さんは「五体不満足」だが、
顔と口で女性との一線を車椅子で超えた訳ですし。
(不倫はイカンよ)
先生との事前打ち合わせの時、足に特徴があり、
長時間の立ち作業がしんどく、学校では自分から申し出るように
指導している子がいると申し送りがあった。
ロッカーにイスを置く。
休憩場所を確保する等の配慮は行うが、
こちらから気遣う声かけはせず、本人の判断に任せるという事にした。
職場体験初日、オリエンテーションで3人全員に
「介護職は記録に挑戦するアスリートではない。
例えば身体の大きい利用者を“今日は頑張って1人でやってみよう”ではなく、
同僚に“ケガをさせてしまう不安があるので手伝って下さい”と言って2人で行い、
安心と安全を提供するのが仕事です。
無理、不安、知らない、出来ない等を1人で抱え込むのではなく、
チームで支え合って仕事をしています」と伝えた。
その、足に特徴のある子(以下ポンちゃん(仮称))は、
初日に「座らせて下さい」とは言わなかった。
昼過ぎから表情が暗く見えたが、他の子と同じ様に行動をした。
帰り際一言「よく頑張ったね」と声を掛けたら、
ポンちゃんは嬉しそうな恥ずかしそうな、思春期丸出しの表情をした。
2日目は一度「座らせて下さい」と棟の職員に伝えてきた。
座っているポンちゃんに会いに行くと、少し悔しそうな
色々な負の感情の混じった表情をしていたから、
自分から想いを発信した事を褒めたら、
ポンちゃんはやっぱり思春期全開の表情をした。
3日目(最終日)は体調が悪かったのか、
座るだけでなく、横になる事もあった。
連絡を受けポンちゃんの所へ行くと、必死に平気な素振りをしながら
小さな声で「すいません」と言ってきた。
僕はポンちゃんを笑わそうと、
とおっておきのギャグを2~3個織り交ぜながら話をしていたら、
「◯◯という病気で△△という障害があり、◎◎や××が出来ない」と
自分のマイナス面を、感情を出さない様に、
そんなに悩んでいる訳ではないという体で話してきた。
絶対に悩み苦しんでいるのに、だ。
ポンちゃんだけじゃない、
もう1人の子は小学校の頃いじめられていたと話していたし、
もう1人の子は兄弟と自分は違うと話していた。
支援学校の生徒達は、将来「何がしたいか」ではなく
「何が出来るか」でもがいていて、
「自分が出来る事」と「マイナス面を超える武器」を作り
社会人になる事を目標にしていて、学校も保護者もその事をフォローしていた。
例えば3人共、礼儀作法が徹底されていて、誰もいない部屋に入る時でも
「失礼します」と言って頭を下げ、話しかける時は
必ず「すいません、今よろしいですか」と枕言葉をつける。
生徒達にとって社会人である僕達は彼らの目標であり、
僕達を通して社会を見に来ているのだ。
ポンちゃんには職場体験の初めと終わりの挨拶をするという役割があった。
初めの挨拶の時、僕と園長に対してポケットからメモを取り出し
ガチガチに緊張しながらメモに書いてある挨拶を小さな声で「音読」した。
16歳の少女にとって、人前で話す事はもとより、
初めて会うおっさん2人で(園長スイマセン)しかも施設長と管理職だ。
とてつもない重圧だっただろう。
3日間の体験が終わり、挨拶の為園長室に向かう道中で
「またポンちゃんが挨拶するの?」と聞くと、
3日間出しっぱなしだったメロンパンみたいにカチカチの顔で
「はい」と返事をしてきた。
「初日の挨拶カチカチやったもんね、3日間高齢者と接してきたでしょ、
園長も同じ様なモンだよ」と言って園長室のドアをノックした。
ポンちゃんは初日と同じ様に震える手でメモを取り出し挨拶を始めた。
一見すると初日と同じ様に緊張してカチカチの少女が
挨拶の書かれているメモを読んでいるのだが、僕は見た。
ポンちゃんは3回視線をメモから離し、園長へ向けていた。
それは「音読」ではなく「挨拶」だった。
すごく小さな事だが僕にはとてつもない成長を感じ、
うっかり泣きそうになった。
生徒達はあと2年学校で社会人になる事を目標に努力を続け、
すさまじい成長をするのだろう。
それぞれが有している能力と形態で生きていく為に…
僕の形態は2年後、ほうれい線とウエストが増えるだけなのに…
せめて彼らの様に目標を立て、そこに向かって成長しなくちゃ…
なんてクサい事書いていたら今回のコラムにオチがない事に気が付いた。
まぁそんな回があってもいっか。
今回は彼らの追体験に付いた意見だ。
おしまい
(You can do it!!)
令和4年3月27日、当園グループホームにおいて確認さ
れました、新型コロナウイルス感染症におきまして、
京都府山城北保健所のご指導のもと、感染の把握と拡
大防止に努めてまいりました。
その結果、令和4年4月18日をもちまして、当園グルー
プホームにおいて、新たな感染の発生がないことを確
認致しました。なお、特養の一部の利用者様におかれ
ましては、体調を注視し対応をおこなってまいります。
ご家族様・関係者の皆様には、御迷惑をおかけしてお
りますが、職員一同、感染拡大防止に向けて取り組ん
でまいりますのでよろしくお願いします。
引き続きご利用者様の安心・安全に努めてまいります
ので、今後ともご理解、ご協力の程よろしくお願い致
します。
特別養護老人ホーム梅林園
園長 藤原 寛直
この度、当園グループホーム・特養の一部におきまして、
新型コロナウイルス感染が確認されました。
現在は、山城北保健所よりご指導いただき、
感染状況の把握及び感染拡大防止に努めております。
今後の園の対応につきましては、ホームページにて
随時お知らせさせて頂きますのでよろしくお願いします。
ご利用者様のご家族様ならびに関係者の皆様には、
ご心配・ご迷惑をおかけいたしますが、引き続き
ご利用者様の安心・安全に努めてまいりますので、
ご理解・ご協力の程よろしくお願いします。
特別養護老人ホーム梅林園
園長 藤原 寛直
介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。
今回も委員会で配布したコラムを紹介します。
以前おられた利用者の思い出話しです。ひまつぶしにどうぞ♡
委 員 会 が 始 ま る ま で の 暇 つ ぶ し コ ラ ム |
『健康寿命』
今から約100年前の平均寿命はおよそ43歳らしい。
今は大体84歳位なので、ほぼ倍になっているのだが、
最近はさらに「健康寿命」なんて言葉も出ている。
健康寿命ってのは「健康で自立した生活を送れる期間」の事で、
男女の違いはあれど平均寿命との差は9~12年あるらしいので、
人は死ぬ前の9~12年は不健康で自立出来ない生活を送る事になる。
昔は病気になると「治る」か「死ぬ」かだった。
ところが医療の進歩により「死なないけど治っていない」
という事が増え、病気と共に生きる事。
言うなれば病との「共生」という状況が生まれ、
リハビリや介護といった業種が誕生した(と思う)。
つまり僕達の仕事は、利用者の病を理解し、
病との「共生」と手伝う事と言える。
Tさんは50代でリウマチを発症し、
少しずつ身体の自由を失い健康寿命が終わった。
認知症はほとんど見られず、80代で梅林園に入園されるまで30年近く、
家族の助けやヘルパー等により、リウマチと「共生」して来られた方だ。
Tさんはお茶をほとんど飲まなかった。
理由は簡単でトイレに行きたくなるからだ。
Tさんはお風呂を嫌がった。
理由は簡単で手足を広げられると痛いからだ。
ベッドに横になるのも嫌がった。
毎日、今日の夜勤が誰なのか尋ねてきた。
寒い日でもブラウスとチョッキを着たがった。
頼み事をする職員を決めていた。
以前は長髪だったらしいが、とにかく短髪にしたがった。
おやつはチョコレート等は嫌がりビスケットを希望した。
介助すると「ありがとう」ではなく「すいません」と言った。
食事は必ず3割位残した。
寝る時は必ずナースコールを握らせてと懇願した。
息子に「孫を面会に連れて来ないで」と頼んでいた。
職員の動きや表情を常に見ていた。
便薬を飲むのを嫌がった。
これがTさんとリウマチの共生だった。
リウマチと解った時、いつか動けなくなる事を考えて不安で毎日泣いたんだって。
もうすぐ産まれる孫を抱く事も、自分の顔に付いたご飯粒も取れない、
ダルマみたいになるって泣いたんだって。
でも実際ダルマみたいになったら、いかに身体も心も動かさないように
するかだけを考えるから泣く事はもうないって話してた。
「動けなくなると泣いていたのに、
動かないように願っているなんてアホみたいね」と笑うTさんの
笑顔が不自然だったのはリウマチのせいだけではなかった。
長年介護職をしていると利用者の現状と課題が
自分の中である程度パターン化され「人」ではなく
「症状」と「必要なケア」のみを把握し、
そこに至るまでの過程や心情を見ない事がある。
しかし、それらを見ずに利用者と病との「共生」を手伝う事は、
性格の「矯正」と職員都合の「強制」を生むだけで、
過程と心情を知る為には本人やその家族とのコミュニケーションが必要であり、
また、唯一の方法であると思う。
Tさんは何故あの様な生活を送ったのだろうか?
今日接する利用者の過程や心情をほんの少しでも良いので考えてみて下さい。
僕達も9~12年不健康で不自由な生活を送るのだから…
それにしても「健康寿命」という表現はセンスがない。
寿命なんてついていたらネガティブなイメージを生む。
この「表現の仕方」は意外と重要だ。
同じ事をしていても昔は「純愛」と表し、今は「ストーカー」と表すようにだ。
例えば「暴走族」を「おならブーブー団」に変えたら、
「私の彼氏おならブーブー団に入っていて…」とか恥ずかしいし減ると思う。
障害児は「ユニークキッズ」の方がポジティブだし、
老衰は「完遂」の方が頑張った気がするし、
「健康寿命」も「常忙期」に変えて、残りは自分らしくのんびりと…
ってイメージにしたらいいのに。
「Tさんは50代でリウマチを発症し、
少しずつ身体の自由を失い常忙期を終えた」
の方が絶対いいと思う。
おしまい
UMAの本に、イギリスで鳥のように羽ばたき
空を飛ぶ猫が動物園の園長によって捕らえられた
という興味深い記事が載っていたので、
世の中知らないことがまだまだあると思う行事委員長の叶です。
今年も、彼岸法要を行わせて頂きました。
涙ぐまれる方や、一緒にお経を唱えて下さる方、
それぞれの想いで利用者様一人一人がご先祖様や
大事な方の冥福を祈りお参りをされました。
利用者さんの後には職員も、彼岸(向こう岸のやすらぎの境地)に
行かれた利用者様を想いお祈りをさせて頂きます。
そして本日のおやつは、彼岸の期間中に
故人を偲んで食べると良いと言われ、
牡丹が咲く時期なので「ぼたもち」です。
「あんこが一番好きや」と
美味しそうに召し上がられていました(^^)/
秋のお彼岸には「おはぎ」が出るのでお楽しみに♪