「雲泥の差だけど産んでいいのさ」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

えー今回も、僕が委員会にて配布したコラムの紹介。

ある利用者の体験談です。ひまつぶしにどうぞ♡

委 員 会 が 始 ま る ま で の 暇 つ ぶ し コ ラ ム

     『雲泥の差だけど産んでいいのさ』

僕の家は毎年正月にカニを食べる習慣があったが、

僕だけエビフライが出された。

あの地球上で最も旨いとされるカニを僕以外は食べ、僕はエビフライだ。

当然、親の目を盗んでこっそりと食べた事があるが、

そんな時は脇腹や肘の辺りにボツボツが出来、ピリピリ痛み、ムズムズ痒くなる。

そう、僕はカニアレルギーなのだ。(オーマイゴット!!)

中学生位の時、母親に

「カニとエビフライは釣り合っていない、ここはウナギだ」と交渉すると

「ウナギは皆も食べたくなるしダメだ、せめてシメサバだ」と、

まさかの2ランクダウンの品を提示してきた。

(そもそも皆も食べたくなるって何やねん!!)

負けるものかと

「ホタテより下のラインは認めん」と食い下がると

「ウチは兄弟3人共アレルギーがあってそれぞれ我慢しなくちゃいけない」

と公平性を主張してきたが、僕にとっては絶好のチャンスだ。

なぜなら姉の金属アレルギーはまだしも、妹のアレルギーはアロエだ。

あんなもんアレルギーでも、無人島でヤケドした時以外困る事はない。

アレルギーは不平等だ。

「俺のアレルギーが一番つらい、カニは我慢する。だからウナギを!!」

「アナゴなら」

「安い!!」

なんてやりとりをした結果、僕はアレルギー治療の為通院する事となり、

確か6~7か月位でカニを食べられるようになった。

あっ!!そういえばヤケドで思い出す人が居るんヤケド、

ちょっと書いてみる。

今から15~16年前、背中の真ん中辺りに10㎝×15㎝程の

うっすらとしたアザのあるTさんという利用者がおられた。

Tさんに「背中に四国みたいな形のアザがあるの知ってる?」

と聞くと「知ってるも何も忘れられへんで」と言って話してくれた。

Tさんは山の中にある小さな集落に住んでいて、

産婦人科どころか医者すらいない所だった。だから自分が妊娠してるって

解るのも、トイレがしづらくなってから気付くらしい。

当然予定日とかも解らないから、その日もいつもの様に大きなお腹で

畑仕事をしていたら突然産まれそうになって、頭の先が出て来たそうだ。

(あくまで本人の話)

同じく畑仕事をしていた姑さんを死ぬ思いで呼び、

手を貸してもらいながら家に着くと、

姑さんはコタツをひっくり返しTさんをその上に寝かすと、

コタツの足に両手両足をしばり、さっきまで畑仕事をしていた手を

水でササッと洗い、そのまま引っ張り出して出産をしたんだって。

普段使っている包丁でへその緒を切って“薬に使うから”って保管して、

胎盤は壺に入れて庭に埋めたらしい。出産が痛くて痛くて

気が付かなかったそうだが、この時背中をヤケドしたんだって。

ちなみにこの時はアロエじゃなくて「キュウリのクサレ汁」を塗ったらしい。

(なんちゅーネーミングなんだ)その後Tさんは7人産み、

2人が1歳になる前に死んだそうだ。

2人目以降は妊娠中に旦那が藁でシーチキン…じゃなくて綱(つな)を作り、

天井から吊るし、その綱(つな)を握って立ったまま産んだんだって。

(これがこの地方のスタンダードなやり方らしい)

悪魔?が子供に宿るから出産の時に声を出してはいけない

ルール?信仰?もあったそうだ。

普段は芋とか野菜を食べるんだけど、産後は母乳を出す為、玉子粥に

かつお節をかけたのを食べて、それがとーっても美味しかったんだって。

8人産んだけど、やっぱり1人目は大変で印象に残っているそうだ。

すごい体験ですよね。

現代の出産と全く異なる、なんて言うか、精神も肉体も強い。

長年介護職をしているけど、80歳以上で喘息とかアトピーとか花粉症、

アレルギーの利用者を見た事が無い。

(そろそろオチへ向かうか…)

僕達介護職員は、このすさまじい時代をたくましく生き抜いて来られた

強さにかなり助けられているのだろうから、

梅林園が100周年を迎える頃の介護職員は大変だろうと思う一方で

「昔はよかった」と「昔は大変だった」が常に混在している事を考えると、

「有事大変という自体変」なんだと思う。

(キマッた!!)皮肉な笑い

              おしまい(I want to eat crab)