「雲泥の差だけど産んでいいのさ」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

えー今回も、僕が委員会にて配布したコラムの紹介。

ある利用者の体験談です。ひまつぶしにどうぞ♡

委 員 会 が 始 ま る ま で の 暇 つ ぶ し コ ラ ム

     『雲泥の差だけど産んでいいのさ』

僕の家は毎年正月にカニを食べる習慣があったが、

僕だけエビフライが出された。

あの地球上で最も旨いとされるカニを僕以外は食べ、僕はエビフライだ。

当然、親の目を盗んでこっそりと食べた事があるが、

そんな時は脇腹や肘の辺りにボツボツが出来、ピリピリ痛み、ムズムズ痒くなる。

そう、僕はカニアレルギーなのだ。(オーマイゴット!!)

中学生位の時、母親に

「カニとエビフライは釣り合っていない、ここはウナギだ」と交渉すると

「ウナギは皆も食べたくなるしダメだ、せめてシメサバだ」と、

まさかの2ランクダウンの品を提示してきた。

(そもそも皆も食べたくなるって何やねん!!)

負けるものかと

「ホタテより下のラインは認めん」と食い下がると

「ウチは兄弟3人共アレルギーがあってそれぞれ我慢しなくちゃいけない」

と公平性を主張してきたが、僕にとっては絶好のチャンスだ。

なぜなら姉の金属アレルギーはまだしも、妹のアレルギーはアロエだ。

あんなもんアレルギーでも、無人島でヤケドした時以外困る事はない。

アレルギーは不平等だ。

「俺のアレルギーが一番つらい、カニは我慢する。だからウナギを!!」

「アナゴなら」

「安い!!」

なんてやりとりをした結果、僕はアレルギー治療の為通院する事となり、

確か6~7か月位でカニを食べられるようになった。

あっ!!そういえばヤケドで思い出す人が居るんヤケド、

ちょっと書いてみる。

今から15~16年前、背中の真ん中辺りに10㎝×15㎝程の

うっすらとしたアザのあるTさんという利用者がおられた。

Tさんに「背中に四国みたいな形のアザがあるの知ってる?」

と聞くと「知ってるも何も忘れられへんで」と言って話してくれた。

Tさんは山の中にある小さな集落に住んでいて、

産婦人科どころか医者すらいない所だった。だから自分が妊娠してるって

解るのも、トイレがしづらくなってから気付くらしい。

当然予定日とかも解らないから、その日もいつもの様に大きなお腹で

畑仕事をしていたら突然産まれそうになって、頭の先が出て来たそうだ。

(あくまで本人の話)

同じく畑仕事をしていた姑さんを死ぬ思いで呼び、

手を貸してもらいながら家に着くと、

姑さんはコタツをひっくり返しTさんをその上に寝かすと、

コタツの足に両手両足をしばり、さっきまで畑仕事をしていた手を

水でササッと洗い、そのまま引っ張り出して出産をしたんだって。

普段使っている包丁でへその緒を切って“薬に使うから”って保管して、

胎盤は壺に入れて庭に埋めたらしい。出産が痛くて痛くて

気が付かなかったそうだが、この時背中をヤケドしたんだって。

ちなみにこの時はアロエじゃなくて「キュウリのクサレ汁」を塗ったらしい。

(なんちゅーネーミングなんだ)その後Tさんは7人産み、

2人が1歳になる前に死んだそうだ。

2人目以降は妊娠中に旦那が藁でシーチキン…じゃなくて綱(つな)を作り、

天井から吊るし、その綱(つな)を握って立ったまま産んだんだって。

(これがこの地方のスタンダードなやり方らしい)

悪魔?が子供に宿るから出産の時に声を出してはいけない

ルール?信仰?もあったそうだ。

普段は芋とか野菜を食べるんだけど、産後は母乳を出す為、玉子粥に

かつお節をかけたのを食べて、それがとーっても美味しかったんだって。

8人産んだけど、やっぱり1人目は大変で印象に残っているそうだ。

すごい体験ですよね。

現代の出産と全く異なる、なんて言うか、精神も肉体も強い。

長年介護職をしているけど、80歳以上で喘息とかアトピーとか花粉症、

アレルギーの利用者を見た事が無い。

(そろそろオチへ向かうか…)

僕達介護職員は、このすさまじい時代をたくましく生き抜いて来られた

強さにかなり助けられているのだろうから、

梅林園が100周年を迎える頃の介護職員は大変だろうと思う一方で

「昔はよかった」と「昔は大変だった」が常に混在している事を考えると、

「有事大変という自体変」なんだと思う。

(キマッた!!)皮肉な笑い

              おしまい(I want to eat crab)

「志村―!!うしろー!!」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

はてさて今回も、僕が委員長を行っている委員会にて配布したコラムを紹介します。

2020年の初夏位の時に書いた個人的見解コラムで、

なんだかオムニバスにしたくて3本立てです。

ひまつぶしにどうぞ♡虹

委 員 会 が 始 ま る ま で の 暇 つ ぶ し コ ラ ム

     『志村―!!うしろー!!』 

このタイトルにピンと来た方は恐らく45歳以上ではないだろうか?

そうタイトルの「志村」とはコロナウィルスにより亡くなられた

キングオブコメディアン志村けんさんの事だ。

日本人で彼を知らない人がいるのだろうか?

僕も子供の頃によく彼のコントは見ていて、

まぁコンプライアンスなんて言葉もなかったし、めちゃくちゃだった。

ビール瓶で頭をシバかれたり、食べ物を頭からぶっかけたり、

上半身裸の女性をトランプに見立ててうつ伏せに寝かせ、

お腹に書かれた絵で神経衰弱をしたり…

という本当の意味での「バカ殿」のコントを母親と一緒に見ていて、

思春期の僕が本当の意味で神経が衰弱したのを思い出す。

(妙に無言になるよね)

“70歳という若さでお茶の間の人気者である、あの「志村けん」がコロナで死んだ”

このニュースはコロナウイルスに対して、

どこかエイズとかエボラみたいに「まぁどっかで大変なんでしょ」という位の

認識であった人達に危機感を持たせ、行動や意識を変えた。

「志村のうしろ」には、その事で助かった多くの命があるのだ。

     『危機感』

危機感を持つ事は大切な事だ。僕も当初は危機感がそこまでなく、

報道等を通して危機増したと聞きましたが、どこか心の奥に根拠のない

“自分は大丈夫”という思いがあった。

「危機感がない」という状態は、ノーガードのボクサーみたいな事だ。

大切な所を常に守り、相手がどこを打ってきたらどう守るのかイメージし、

あらかじめ考え不測の事態に備えガードする。

ノーガードでは相手にボコボコにされてしまうだけだ。

そう、今は人間とウイルスのタイトルマッチでゴングはとっくに鳴らされている。

不安は必要ない、「危機」という漢字は「危険」と「好機」という言葉の合体らしい。

要するに「ピンチはチャンス」利用者の安全を常に守り対策を考え、

不測の事態に全職員が協力連携して行えば、組織としての土台が強くなり、

台丈夫なら大丈夫なのだ。だからたとえ動物が相手でもどうブツか考えるのだ!!

     『家族』

「はーちゃんもし外でコロナを見つけたらメチャメチャに踏んづけてやる!

だってコロナのせいで学校に全然行けへんねんもん!」

そう話す次女はコロナウイルスの事を動物みたいにイメージしているのだろう。

僕は阪神淡路大震災の時は関東にいて、東日本大震災の時は関西に居たので、

どちらもTV画面の向こうの出来事だった。

TVを見る度に倒壊した家は何棟だ、とか死者何人だ等の数字が増えていって、

少しずつその被害の全貌が明らかになっていったが、

今はTVを見る度に感染者が増え仕事や経済等生活への影響も広がり、

自分もその渦中に居て被害の全貌が解らず、世界中の人々が

しつこく質濃く漆黒の中に居るようだ。といっても良い事もある。

家族と居る時間が増えたのだ。

今は仕事の時以外は2人の娘と1匹の犬とずっと遊んでいる。

休業中だから子育てをする「育メン」の増加を伝えるニュースをTVで見た後に、

お風呂で「父ちゃんは肉メンだね」と言う娘に

我が子ながら上手い事言うなと感心しつつも

「はーちゃんなら悪口言われても憎めんなぁー」と

父親として負けじと語彙力の高さを見せつけたりしている。

外出する事が出来ず家の中で娘達と楽しく遊んでいたら、

嫁さんが「仲が良いね」と声を掛けてきて、娘2人が同時に「外が良い!!」と言った時は、

嫁さんと2人で「そうだね」と笑って返した。

母親から「コロナにはカレーを食べたら良いらしいよ」と

相変わらず訳の分からないラインが来たが、僕の事を心配してくれているし、

父親は「ゴルフに行ってもシャワーは家でしているし安心してね」と

家族ライン送ってきて、全員から「そもそもゴルフ行くんじゃねー」と心配され、

結局家族って良いよねって改めて思う。

だから家族との面会が制限されている事の重大さ、

それでも制限する意味を理解しなくちゃいけないんだと本当に思う。

            おしまい(Look on the bright side)

「1/10000の2X」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

僕はある委員会の委員長を行っていて、

その委員会でコラムを毎回配布しているのですが、

本日はその中の1つを掲載致します。

2年前の1月の委員会にて配布をした、思い出のコラムです。

ひまつぶしにどうぞ♡

委 員 会 が 始 ま る ま で の 暇 つ ぶ し コ ラ ム

『1/10000の2X』 

新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します。

さて、今年は梅林園創立50周年ということで、

幸運に恵まれるよう運のつく話を書こうと思う。

これまで介護職として18年働き、1000人以上の利用者に1万回近く

オムツ交換をしてきた訳だが、今回はその内の1回について。

僕はその日、職員のTさんとB棟で夜勤をしていた。

当時は今と違いABCはそれぞれ分かれていて、6人部屋もあった。

時計を見ると20:55、Tさんに「そろそろオムツ行きますか!」と声を掛け、

2人でオムツ台車を押して1番手前の「しらかば」居室に入る。

入った瞬間漂うコート(便の事)臭で、この部屋の6人の内

誰かのオムツからコートが漏れている事を察したが、まぁよくある事なので

僕もTさんも何も言わず、それぞれ左右1番奥の利用者の所へ向かった。

どちらが当たるかは運まかせだ。(便だけに)

「さぁ誰だ」なんて思いながら1人目の利用者の所に着き布団をめくろうとすると、

上着の首の所からコートがダラァ~と漏れていた。

布団をめくらずとも、大量のコートがオムツからあふれ背中を越え

首元から出ているという状況は想像が出来、

さらにその利用者はこちらの意思が伝わらず介護抵抗すら見られる人であった。

「Tさん、この方でした…」

反対側で布団をめくりオムツを変えようとしていたTさんは、

僕の方を見て僕と同じ状況をイメージし、オムツ交換をやめ、

そっと布団を掛け直し寮母室へバンダナを取りに行ったから、

僕も風呂場に公用のタオルを取りに行った。

大量のコートとの一戦は、目に汗が入ったら終わりだ。

Tさんはバンダナを、僕はタオルをそれぞれ頭に巻き、リングへと向かった。

ありったけの清拭やら色々と用意をし、開始のゴングが鳴った。

(布団をめくったって事)

予想通り見た事もない程のすごい量で、介護抵抗も見られたが、

Tさんと声を掛け合い全身を拭き、衣類を交換していった。

途中でナースコールが鳴り「私が行くわ」とTさんは上半身だけ走って向かって行ったから、

僕は(頼むから下半身も走ってくれよー)なんて思いながらも1人で出来る事をした。

Tさんも戻ってその利用者をベッドからストレッチャーへ移し、

シーツやら枕やら全て交換している途中の

「こんなにたくさん出したら気持ち良いやろね」と話す

Tさんの感性が僕の疲労感に充実感をもたらした。

やっとの事でその方の保清も終わり、一旦寮母室へ戻り一息つく事にした。

僕はタバコに火をつけ(当時は寮母室で吸えたのです)換気扇に向かって煙を出す。

一仕事終えた後の一服は最高だ。

するとTさんが鞄からマックフライドポテトを取り出し「食べる?」と言ってきた。

(夜勤のおやつにフライドポテトって!)

と普段なら突っ込む所だが、

2人で苦労を分かち合った直後という事もあり、何も言わずニッコリ笑って手を伸ばした。

冷めきってシナシナを通り越し、

柔らかめの芋けんぴみたいになったポテトを2人でつまんでいると、

Tさんが「もう10時半過ぎてるね…普段ならオムツ交換終わってる頃ね…」と言った。

「まだ1人しか終わってませんもんね」と返す僕。

「コート表にさっきのコートの量どの位って書こうか。5Lくらいかなぁ?」

「いやもう繰り上がって2Xとかですよ(笑)」

「夜は長いしゆっくりやろうね」

「そうですね、まだ12時間位ありますから」

「大変だったけど介男さんと2人だったしへっちゃら♪」

注)僕とTさんは歳の差30歳位あります、決して恋バナではありません。

そんなやりとりをしていると、段々やる気が上がってきた。

Tさんは不意に「ごめんね、コレ全然美味しくないね」と

僕が1口目から言いたかったことを言ってきた。

「正直激マズです」と返して2人で笑った。

「さぁ気合入れてオムツ行きますか!」

「そうね」

と2人で残りのオムツ交換へ向かった。

今思ってもあの時の量を超えるコートには出会っていない。

介護抵抗もあり1時間半位かかったしんどい仕事だったのに、

今思い返すと楽しい思い出となっているから、介護職はフシギだ。

おしまい。

介男話 その46

青虫、青汁、青信号、緑を青と呼ぶのなら

緑茶も仲間に入れたげて、、

という事で介護職(男性)犬の顔が日々感じた事を話す

略して「介男話」です

ワクチンの接種も進み人類とコロナの戦いは

また一歩終息に近付いた訳ですが、油断は禁物ですね。

このコロナ渦による影響は本当に沢山あるのですが、

その中の1つに近隣の幼稚園や保育園、小学校の子供達との

直接的な交流が行えない(行いづらい)というのがあります。

子供たちとのふれ合いは

皆さん本当に喜ばれますし、力をもらえます。

そりゃあ、もう、職員は行事等で顔を白塗りしたり、

踊ったり、一発ギャグをかましたりと楽しんで頂こうと

必死になりますが、子供たちといったら「こんにちはー」って

出会った瞬間 口を開いた笑顔ハイ!! 皆さん笑顔満開でございやす当惑した笑い。

歌を頂けた日にゃあ目じりはバンジージャンプをして(下がるって事)、

口元は給料日のサイフのヒモのようになり(ゆるんでるって事)、

曲がったはずの腰を伸ばして「見たい、見たい」と歓喜の渦に!!

と言いますか、職員も癒されちゃってますから、もはや無敵の行事です。

ラケットもって、バッターボックス入るようなもんです。

バンバン、ヒット打ちます

そんな楽しい思い出をムネに

利用者が作品を作ったので紹介します

image_thumb

ちなみに行事委員会も似たような作品をブログにアップしてますけど、

別の方が作られた作品ですから、また一味違います

image_thumb2

image_thumb1

近隣の幼稚園、学校関係の方々、必ずまた交流致しましょう♡


介男話 その45 「母の日なんて無い」

シャワー浴びながら気分よく「BTS」の

ダイナマイトをハナ唄で歌ってたんだけど、嫁さんから

「アンタ いい歳して『キラキラ星』歌ってたん?」と言われた・・・。

キラキラ星困惑顔・・・

いや上目づかい・・・

病気の笑顔・・・

BTSだけど悲しい笑顔・・・

キラキラ・・・

全然違う・・・。うらやましいな~うらやましいな~うらやましいな~

という事で介護職(男性)犬の顔が日々感じた事を話す略して介男話です。

前回「5月と言えば子供の日」なんて書きましたが、

そんなこたぁございませんよ

はい、そうです、5月と言えばもちろん「母の日」でございます。

(アブナ~母の日の事忘れてた・・・。)

そういう訳ですから、もちろん「母の日について聞いてみた」のコーナー♡

image

イメージイラスト

(今回は割と似ている!?)

お母さんとの思い出って何かありますか?

➜戦争から帰ってきた父が

 私の7~8才位の頃に死んで、母は仕事ばっかりしてたからねぇ~

どんな仕事をしてた?

➜当時は女の人で外へ働きに行くってのは珍しくて、働く所もあんまり無かったから

 近所の人の仕事を手伝ってた。石清水八幡宮って知ってる?

 弓とか矢じりを作ってそこに納めてたのよ。

「おふくろの味」ってある?

➜母はね、私が10代の時、病気で死んだのよ。病に倒れた時、父はもう死んでたし

 家にはおばあちゃんと私と弟の3人だったから、看病出来なくて、

 母は実家で療養したの。もちろん母の料理も食べてるはずだけど

「これ」っていうのは思い出せない。

大変だったんだね

➜母が亡くなって親戚の人が車で運んでくれたんだけど、

 その時の事は今でもハッキリと憶えている。

 私はおばあちゃん子だったし、おばあちゃんは近所でも評判の人で

 私の自慢だった。だからかなぁ・・・悲しかったと思うよ、その時は・・・

 とにかくその時の事は憶えてるけど・・・。

 他の人の「母親の死」とはちょっと違うと思う。

おばあちゃんが大好きだったんだね

➜昔はね、ようけ子供産むでしょ、私の所も5人兄弟が居たの。でも私以外皆、

 はしか で死んで、それでしばらくして弟が産まれたから

 母は弟をとっても可愛がってたのを良く憶えてる。

 だから私はおばあちゃんによう可愛がってもらってた。

そうなんだ

➜両親の居る近所の子に負けんように必死に育ててくれた、

 着物とかも立派なの買ってくれたし、近所で評判の人だったのよ。

 私が結婚する時、すごく喜んでくれて・・・。

 式にはよう来れへんかったけど、本当に喜んでくれて、

 主人もやさしい人だったから、おばあちゃんの世話もしてくれて

「良い人と結婚したな」ってほめてくれて、、。

 うれしかったし、主人にも感謝してる。

だいぶ話がそれたけど「母の日」についてなんかある?

➜母の日なんて出来たのは最近じゃない?私の小さい頃は無かったとおもうよ。

 今思うと母は大変だったと思うし、感謝してる。

 おばあちゃんは今でも大好きだし、それは「母の日」じゃなくても そうよ

介男話 その44 「子供の日」

ある男がケガをしている鳥を見つけました。

鳥は「私はツルです、助けてくれたら恩返しをします」と言い、

男は喜び、懸命に看護し、そのかいあってか、ケガはすっかり治りました。

すると鳥は何も言わずに飛び立っていったから、男はあわてて追いかけて

「待てーツルー」と叫ぶと、隣の家のオッサンが言いました。

「兄ちゃんあれはツルじゃなくて、サギや」

という事で介護職(男性)犬の顔が日々感じた事を話す略して「介男話」です笑顔いいね!

さて皆さん、1月~12月、それぞれの月には、その月を象徴するというか

「〇月といえば」というのかあると思いませんか?

2月だったらバレンタイン、12月だったらクリスマスみたいな、、。

という訳で5月と言えば・・・そう 「子供の日」です

そこで「どんな子供だったのか聞いてみた!!」のコーナー♡

image

今回答えてくれた方のイメージイラスト

(上手く書けない、、、)

子供の頃1番楽しみだった事は?

➜さつまいも蒸したやつが甘くて、それ食べるのが楽しみだった

色々あったハズやのに1番はサツマイモなんだ

➜戦時中は何も無かった。特に甘い物なんてなかったから、

 甘いサツマイモが大好きだった

学校の思い出とかは?

➜勉強中に空襲があったってのはよく覚えてる。

 それと4人兄弟だったのに鉛筆が3本しかなくて苦労したよ、

 兄は高等学校に通い下の子達は農学校に行ったけど、

 私は小学校卒業したら家の手伝いしてたからねぇ・・・。

 あんまり学校の思い出はないよ・・。

どんな事手伝うの?

➜たらいに洗濯物入れて川へ洗いに行くんだけど、

 石鹸なんてないからなかなか汚れ落ちないし、

 帰りは濡れてるから重たかった・・・。

 父が用意したマキでお風呂を沸かすのも私の仕事やった・・。

 毎日してたよ・・。

今はどっちもボタン1つで出来るからね、、。すごい大変だったね。

➜そんときはそれで当たり前だから何も思ってなかったよ。

しかし、そうだったんだろうなとは思っていたけど、家電の無い生活って大変だよね

「川へ洗濯に、山へ芝刈りに」って本当にしてたんだもんね

そりゃ、たまにはモモでもながれて来ないとシンドイよ・・・。

最後に楽しかった思い出は?と聞いたら

「楽しい思い出なんて1つも無い」って

まるで楽しい事を思い出しているような明るい笑顔で答えてくれました。

介男話 その43 「必死」

春の小川を見て「サラサラ行く」と感じた事のない無粋な僕には

「チロチロ行く」の方がしっくりくると思う。サラサラって・・・。

という事で(なんのこっちゃ)介護職(男性)犬の顔

日々感じた事を話す、略して「介護話」です両手両手

5月は連休があったり、気候も丁度よくて

外出するには絶好の時期ですが、ココはグッとガマン!!

という事で突然ですが、アダムアダムアダム

「昔はどんな生活をしていたのか聞いてみた」のコーナー!!

質問に答えてくれた方

image

個人情報保護の為イメージイラスト

(似ていない、、、)

子供の頃の1番楽しかった思い出はなんですか?

➜そりゃ「スキヤキ」やね。

 皆で寄って食べるやろ、肉なんてめったとたべれへんし。

パッと浮かぶのは食事なんやね。

➜当たり前やん。今とちごて食べるモンあらへんから必死や、

 白米も高いからムギ入れてカサ増して食べてたんやもん。

 おやつかてそこらへんの実食べるだけやし

(そこらへんの実・・・。スゲーなぁ・・・。) 

子供の頃よくやった遊びは?

➜ママごとをようやったなぁ。

 そこらの石や木、葉っぱなんかで母親が使てる道具に近い形のもん見つけて。

 それですんねん、今みたいにオモチャなんてあらへんモン、

 今の子はオモチャようけもっとるやろ

誕生日とかにプレゼントでもらったりするからね

➜私ら誕生日にプレゼントもろた事ないけどな、

 母親があずきご飯作ってくれてそれがうれしかったし、充分やった、

 それと「ブトクカイ」の人が祝ってくれたなぁ

ブトクカイ?

➜「武徳会」ってのが昔はあって色々と教えてくれたりしたんや。

 今はもう無いな。戦時中の事や

他には?

➜昔は今より衛生が良くなかったし、冷蔵庫もないから、

 今、今、食べるもんとって食べてた。

 だれもハラ こわす人なんて居ない、なんでも口に入れたら味やらで

「アカン!!」って解るからすぐだすねん(笑)

今は作り手が「賞味期限」っていつまでか知らせてくれるからね

➜自分で食べてハラこわしたら、自分の責任や

「アカン」と思ったら出すんや、ハラこわしても

「アホやなぁー」で終わり、作り手は関係ない。

たしかに・・・。じゃぁ最後に一言

➜物が無いから、食べるんも仕事も必死や、

 必死になって生きてきた。みんな必死・・・。

 ホンマ 大変やったなぁー(しみじみ)

「必死だった」 たぶん当時はその状況が当たり前で

「必死」という感覚はなかったと思う。

今振り返ってみて「必死だった」と感じるんだろう・・・。

数十年後の僕は今の僕が必死だったっておもうのかなぁー

ステイホームなんてガマンにも入らないのかもね。

しかし、ちょっとマジメすぎるからダジャレで終わるか・・・

  いつの時代もスキヤキは好きやきっと・・

介男話 その42 「備え」

1円玉、1個作るのに必要な材料費は2円なんだって。

物の価値っていったい何なのだろう・・・。

という事で

介護職(男性)が日々感じた事を話す略して介男話犬の顔です。

皆様、これが何かお解りですか?

image

イチゴを栽培する為にビニールハウスをくみ立てた訳ではありません。

これは「陰圧ブース」といって感染対策用品です。

水が高い所から低い所へ流れるのと同じように、

気圧も高い所から低い所へ流れます

そこで、このブース内の気圧を下げる事によって、

空気の流れが“入ってくるけど、出ていかない”ようになって

感染の拡大を防げるという物です。

(説明がヘタクソですみません・・。)

僕は外出する時モバイルバッテリーを持っていきます。

僕や嫁さんのスマホのバッテリーが切れても充電できるから

気兼ねなくスマホを使えますから。

僕は全然興味がないけど、

一応阪神タイガースの順位はチェックしている。

突然、お義父さんと2人きりになっても話が出来ますから。

僕は職場のロッカーに替えのパンツが入っている。

昔、入浴介助中 足が滑ってズブ濡れになった時、

紙パンツかノーパンを迫られたからだ。

陰圧ブースを使う日が来ないのがベストですが、

備えあれば憂いなしというかどの様な状況になっても、

少しでも安心して頂けるように用意している訳です。

どうかこれを使う日が来ませんよーに・・・。

介男話 その 41

海水ってあんなにしょっぱいのに

塩分濃度はたったの3%なんだって上向き

という事で

介護職(男性)が日々感じた事を話す略して介男話犬の顔です。

ケガや病気になると、安静にしなくちゃいけないから

その間はこれまでと異なった生活を送らなくちゃいけない。

毎日過ごしていた場所、

見ていた風景じゃなくて、ベッドの上で天井を見て過ごすのだ

「調子はどう?痛みは?」

「だいぶマシよ。

いつも見ていたチューリップはどうなったのかしら・・・」

「見に行こうよ」

「コイノボリも長い事見てないわ・・・」

「ある、ある。見に行こ。いつも外をながめていた

お気に入りの場所に行こ♡」

ベッドごとその方がいつも過ごしていた場所へ、

途中コイノボリが見える所に立ち寄って向かう。

image

「キレイな空ねぇ・・。良いお天気・・。」

空を眺めながら静かにそうつぶやいた。

他の利用者に呼ばれた為、少しその場を離れ戻ってくると、

小さな声で唄っていた。

 屋根より高い こいのぼり

 大きいまごいは おとうさん

 小さいひごいは こどもたち

 おもしろそうに およいでる

この歌にはお母さんが出てこない。

だからなのか、母親がさみしいまなざしで

家族を見ているって感じがして、家族に逢いたいなぁと

いうさみしさがその歌声から僕は感じた。

「早く良くならないとね」

「そうね、ずっと寝ていたら退屈だもの」

うららかな、春の日差しが心地よい4月のある晴れた日の午後

柄にもなく少しセンチメンタルになる40のおっさんの1コマ・・・。

介男話 その40 「断捨らず」

ウシの様に大きな身体をしている事から「ウシガエル」、

食用にはならずヘビがよく居る所に生育している事から「ヘビイチゴ」

という事は「バフンウニ」って・・。

他の例えでいいのに・・・。

という事で介護職(男性)犬の顔

日々感じた事を話す略して「介男話」です

皆さんは「断捨離」という言葉を知っていますか?

物への執着を捨て不要な物を減らす事で

整理整頓だけでなく心にも平穏が訪れるという考え方だそうです。

かくゆう私は先日、飲んだペットボトルを捨てずに

ポンポン置いていたら梅子にけっこう本気で

腹が立つ「それ(ペットボトル)捨てていいんですか?<(`^´)>」

と怒られたところです悲しい笑顔(ゴメーン)

梅林園の利用者の中には物を大切にし、

必要な物として使い続ける達人がいますので

少しですが紹介します赤いバラ✲。

image

この上着はもともとトレーナーだったんですが、

カーディガンとしてリメイクし、とても気に入っておられます

image

チラシをゴミ箱として

量産してくれる方がいてとても助かっています

image

タオルを半分に切ってハンカチとして使っています

image

これ解りますかね、

コップのフタなんですけどティッシュペーパーの箱で

作ったものですアダム音符

image

シーツを束ねていたビニールひもを使って

使いやすい所にトイレットペーパーホルダーを手作りされています

image

読み終わった新聞を引き出しにストッパーに使われています

これはほんの一部です。

やはり物があまり無い時代を生きて来られた方は

「何かに使える」「何に使おうか?」と考える方が多いです

中には「おお!!」となるアイデアなんかも満載ですいいね!

だからね、梅子ちゃん、ペットボトルも何かに使えるかなぁーって

ついつい置いてしまっていたのです・・あかんべー(言い訳)