暑さを吹っ飛ばせ!!!

 皆さんこんにちは、栄養管理部のご飯うまい丸で

す。お久しぶりです(^∀^*)

 梅雨が明けたのに、じめじめ暑い日が続いていま

すね。

 ご飯うまい丸は早くも夏バテぎみですが、皆さん

体調いかがですか?7月14日にお菓子の日がありま

した。

 じめじめした暑さも吹っ飛びそうなカラフルなポ

ッピングゼリーを作りました。

 ご利用者様に目でも楽しんで頂けたと思います♪

 味もさっぱりとしていて、いまの季節にピッタリ

です。

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 これからもいろいろ工夫して、ご利用者様に楽し

んで頂けるデザートを栄養管理部の皆で作っていき

たいと思います(^^)/

「残42」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

今回も委員会で配布したコラムなんですが、

3年前位のコラムなので、当時は「残42」ですが、

もう「残30」位ですし、それもコロナがあって不透明です。

ひまつぶしにどうぞ♡

委員会が始まるまでの暇つぶしコラム

      『残42』

 僕の母は千葉、姉は東京、妹は埼玉、

そして父は北海道でそれぞれ暮らしているので、

日頃会う事が殆どなく、盆、正月と年1回の

家族旅行の3回は必ず会おうと決めている。

両親は決して夫婦仲が悪い訳ではなく、

父は道楽で1人北海道で暮らしているのだが、

今回はそんな父の話。

父は…というかどこもそうだと思いますが、

孫に会うと「しばらく見ない間に大きくなったな-」

と毎回言う。そんな父に僕も思う事がある。

それは、会う度に父が「じじい」になっているのだ。

ちょっと大きめの皿を取る時、

手がプルプル震えているのを見て

「じじいになったなー」と思う。

おもちゃの電池を交換しようとして

全身全霊で蓋を開けようとしていて「じじいになったなー」と思う。

「漏れるー」とか言ってトイレに行っているのに

ドアの向こうからは「チョロロ…チョロロ…」と音がしてきて

「じじいになったなー」と思う。

「デコ(母の意)と2人から始まった家族が今や12人になった…」

と顔をクシャクシャにして泣いているのを見て

「じじいになったなー」と思う。

とにかく、めったに会わない分、

いたる所で父のじじい化を感じるのだ。

といっても昨年「古希」の祝をした年齢な訳で、

江戸時代ならとっくに死んでいる年齢な訳ですから無理もない。

そんな正真正銘、立派にじじいになった父を見て思う。

仮に85歳まで生きるとして残り14年、

年に3回会うから42回…

普通にしていたら後42回しかじじい…

あ、父に会わない事になる。たった42回だ。

これはさすがに「まいる」がたまる。

(解説:「僕のまいる気持ちが増えていく」と

「北海道から来る父のマイルがたまる」をかけた

高度なギャグである。)

父は2年位前に軽い脳梗塞で倒れた事があり、

医者から運動と水分と減酒を言われた為、

姉が父に万歩計を渡し、毎日歩数を家族のグループラインで報告する

ってしてたのだが、1日1万~1万5千歩位しか歩いておらず、

ある日珍しく4万歩以上の日があり「頑張ったね」なんて返信したら

「今日は頑張ってすすきのまで歩きました(^^)」って返ってきて

「酒飲みに行っとるやないかーい」と

家族全員でつっこんだりしています。

“親不行をしないけど親孝行もしない”というモットーで

反抗期も1週間で終わらせた僕にとって父は、

子供の頃に遊んだ記憶が殆どなく、朝早く仕事に行き、

夜遅く帰ってくるという思い出しかない。

でも、僕の仕事に対する向き合い方は父の影響を受けており、

父が何の為にそんな生活を送っていたのかが解るようになると、

僕ら子供達と接する事が出来なかった父が、子育ても終わり、

仕事も一線を退いた今、孫にたくさん食べて欲しくて

手をプルプルさせながら皿を持っていたり、

孫に良い所を見せようと必至におもちゃの電池交換をしていたり、

トイレを我慢してまで孫の話に耳を傾けたり、

そんな時間を過ごせる事を喜び、

顔をクシャクシャにして泣いている姿を見ると、

子供の頃の自分に対する少しの後悔と、

これから先、もっともっとこんな時間を増やしたいし、

ずっとずっと健康でいて欲しいと心から思う。

「健康である」という事は本人の為だけでなく

「健康であってほしい」という本人以外の家族や友人等、

たくさんの人の為でもあると思う。

普段の生活が見えず離れて生活しているとより強くそう思うのだろう。

今日面会に来られたご家族様はあと何回、

その利用者に会えるのだろうか?

僕らが取り組む「健康管理」はそういった事も含めて行われるべきで、

手洗いを行う事でさえ計り知れない物を守る事となるのだろう。

ちなみに母は父が中村雅俊と同い年である事から、

事あるごとに2人を比較して「こんな時、雅俊なら…」とか言うんだけど、

お母さん、使い古したストッキングに玉ねぎ入れてベランダに吊るすの止めて。

そんな事、雅俊ならしないから…

                       おしまい♡

七夕会

 小さい頃、地元の風習で七夕の笹を川に流してい

た行事委員の叶です。

 珍しく晴天であった7月7日、梅林園の七夕会が行

われました。織姫、彦星、天帝等七夕のメンバーが

各棟を巡回し、クイズや歌や体操を行い、皆さんに

七夕を楽しんで頂きました。

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 そしてお昼は、天婦羅やウナギのちらし寿司等、

豪華な七夕松花堂弁当を召し上がって貰いながら、

利用者さんの願い事やご家族様に送って頂いた願い

事を放送させて頂きました。

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 利用者さんの願い事も、健康や、家内安全、阪神

の優勝、嵐のメンバーに会いたい等バラエティーに

富んでいて楽しかったです♪♪

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 皆さんの願い事が叶います様に(^^)/

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七夕準備

体位変換と端座位の正しい意味を最近やっと理解で

きた行事委員の叶です。

7月7日に向け、職員が取りに行った竹に、ご家族様

が送って下さった短冊を、それぞれのフロアーに飾

りつけしました。家族様の想いの詰まった短冊に、

利用者の皆さん

「嬉しいわ」と見入っておられました。

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お孫さんからの

「おばあちゃんのいつも元気なニコニコ笑顔が見ら

れます様にみんなで応援しています」

「コロナが収まっておばあちゃんとおかしを食べな

がらおしゃべりできます様に」

「ドラゴンボールの悟空になりたい」

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というほっこりする短冊や

「100歳目指して元気で楽しく過ごしてね」

「おかんが健康であります様に」

という息子さん、娘さんからの短冊、なんと100枚

以上園に届いております。沢山のご協力ありがとうご

ざいました。

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皆さんの願い事が叶います様に(^^)/

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令和4年6月お誕生日会

 近畿地方が早くも梅雨明けし、猫にとっても人間

にとっても厳しい暑さが続く為、体調管理に注意を

しなくてはと思う行事委員の叶です。

6月の誕生日会が行われ、ウクレレ奏者のK課長の演

奏に合わせ、誕生日の曲や6月の歌「夏は来ぬ」をみ

んなで歌って誕生日をお祝いさせて頂きました。

 今月はめでたい事に「100歳」になられる方が2

名もいらっしゃいます!!丁度誕生日会の日に100歳

を迎えられたHさんは

「自分がまさか100歳を迎えられるとは思っても見な

かった。故郷の舞鶴のトレトレセンターの魚が食べれ

るようにこれからも長生きしたい!!」と元気にお話

をしてくれました。

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 これからもお元気で長生きをして頂けたらと職員一

同願っています(^^)/

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Ⅿさんも、ご家族様からの誕生日プレゼントの服を着

用されておりとても素敵で似合っていました♪♪

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6月生まれの皆さん♪本当におめでとうございます

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「社会人のマナー」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

今回も委員会で配布したコラムですが、

ある御利用者との思い出です。ひまつぶしにどうぞ♡

委員会が始まるまでの暇つぶしコラム

      『社会人のマナー』

いつものように仕事をしていたら、PHSに相談員から連絡が入った。

「入院中のSさんが亡くなった」との事。

僕はいつもの様に仕事をする。

企画部に行き、次の入園者について話し、

何日かしたらSさんの家族が引き継ぎの為に来園されるから、挨拶に行く。

この時神妙な顔を作り、お亡くなりになった事を

悔やんだフリをするのが社会人のマナーなのだ。

Sさんは明るい性格で、声を掛けるとその返しがユニークだった。

「もう夜やで。」というと「アラそう、一緒に寝る?」とか、

「朝ご飯やで。」なら「アラ嫌だ、メイクがまだよ。」

なんて具合だ。

Sさんは僕が棟のリーダーをしている時入園された人で、

僕達は利用者の入園までの経緯を「生活歴」の欄を

読む事で知る事が出来る。Sさんの生活歴には

「横浜で軍人である夫と結婚し、

夫からかなりの暴力を受けていた」と

壮絶な出来事が一文にまとめられていた。

この一文の中身を想像すると、そんな事を感じさせない

彼女の明るさ(下ネタが多かったケド)は

強く気高いものだと感じるには充分だった。

Sさんには一人娘が居たが、保証人は娘婿で、

第二、第三保証人もそれぞれ孫であった。

入園当初、娘さんは頻回に面会に来ていた。

面会に来ると居室の掃除をしたり足のマッサージをしたり…

僕が一度

「細目に面会に来て下さりありがとうございます。」と言ったら

「大変な父の為、母はいつも苦労していたんです。

だからもう大好きな母に苦労させたくないんです。」と

母親への愛情をストレートに伝えてきた。

僕はその時まだ娘さんの想いを知らなかったので

そのストレートさに珍しさと羨ましさを抱いた。

そんな中でもSさんは、居室で転倒したら

「ベッドの下にイイ男が居ないかなって思って…」とか

「今は朝?夜?昨日の夜激しくって解んなくなっちゃって…」とか、

少しずつだが確実に、肉体も頭脳もその機能が低下し、

その事を自覚していたが、彼女の強さが冗談で包み明るく見せていた。

Sさんの生活歴の所にはもう一つ記入されていて

「一人娘が居るが身体が弱く介護が行えない」といった内容だ。

娘さんはいつも夫婦で来て旦那さんは

居室前のソファに座ってボーッとしていて、

娘さんがSさんの所に行って話したり掃除をしたりしていたのだが、

そのボーッとしているはずの旦那さんが僕の所に来た。

「入園する前から妻は癌であった。だから母親を施設へ入れた。

治療をしていたが再発した。治る見込みはない。」との事。

僕はストレートに大好きと言える理由がほんの少しだけ解った。

居室では親子水入らずで「お母さんどう?」

「ここは男前が少ないから嫌になっちゃう。」

なんていつも通りの会話をしているが、確かに娘さんは痩せている。

旦那さんは「今日を最後の面会にしようと話し合って来た。

どんどん痩せて弱って行く姿を見せて心配させたくないから。」と言った。

娘さんはSさんに笑顔で「またね。」と言って立ち上がり、

背を向けた瞬間、堪えていたであろう感情があふれ泣き出していた。

顔をクシャクシャにして大粒の涙をこぼしながらも、

後ろにいるSさんには決して解らないよう振る舞い、

僕にいつものように「お願いします。」とだけ言うと、

いつもはエレベーター前で見送るSさんに手を振りながら帰るのに、

見送ろうと必死に車椅子をこいで

Sさんが後ろから来ている事を知っているのに、

そそくさと帰って行った。

「アラ、愛想の無い子ねぇー、誰に似たのかしら。」

と言うSさんに「親の顔が見たいよ。」と返すと

「アンタともう1人作ろうか。」なんて話していたが、

心の中では「娘さんはSさんに似てとても強い人だよ」と

感動しつつも、こんなSさんとの明るい会話に助けられ、

僕は介護のプロとして笑顔でSさんの横に居る事が出来た。

しばらく経ったある日、相談員から

「Sさんの娘が亡くなったが、本人には伝えない意向である」

との連絡が入った。

僕達は意向を申し合わせ伝えなかったのだが、

ある日、僕はSさんと何かの会話の流れで

「子供は宝」みたいな事を話した時、

Sさんは「私の娘は最近全然顔を見せないのよ。

この間来た時だいぶ痩せていたからもう死んじゃったのかしら。」

と冗談を言った。…というか、冗談だったのか、

全てを理解した上での彼女の強さだったのか、

最後の面会の時よりも認知も進行していたし、

解らないし、確かめようもない。

僕は管理職となり日常的にSさんと関わる事が減り、

Sさんと最後に交わした会話は

「嫌ね私ボケちゃって、その内何も解らなくなって、

娘の旦那に手を出したらどうしよう。」という「らしい」会話だった。

Sさんは亡くなった事で娘さんとの

「またね」を果たしている事だろう。

今頃娘と2人で御主人をボコボコにしているのだろうか…

いやSさんはそんなに弱くないか。

「アンタで我慢するか!」なんて冗談を言って

親子3人で一緒に居るんだろうなーなんて、

そんな事を考えるとほんの少しだけ胸がクッとなるが、

油断すると少しだけ顔がニッとなってしまう。

だから家族に挨拶をする時は

神妙な顔を作って亡くなった事を悔やむフリをしなければならない。

それが社会人のマナーだから…

                         おしまい      

                    (I’m so happy that I met you♡)

夏越の祓をしまSHOW

ビニール傘を買っても直ぐに子どもたちに紛失され

る行事委員の叶です。

たくたく会にて「名越の祓」をさせてもらいました

。園長が神主となって皆さんの無病息災を祈ってお

祓いをしつつ茅の輪を潜ります♪

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本来ならば野外のたくたく広場にて、シャボン玉等

で楽しみつつ、外の空気を吸いながら楽しんで頂き

たかったのですが残念ながら梅雨時なので雨☆

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しかし、カラオケをしたり、各棟が作成した「傘の

装飾コンテスト」に投票をしたり、さくらんぼゼリ

ーとコーヒーのおやつを召し上がられたりで最後に

茅の輪を潜る時、皆さんニコニコと良い表情でした

(^^)/

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梅の収穫

「命婦のおとど」を毎日愛でる事が出来るのであれ

ば后の位も何にかはせむと思う行事委員の叶です。

 平安時代から梅干しとして食されていた梅!6月

は梅の収穫時期です(ちなみに6月6日は梅の日で

す)梅林園の梅も丸々と太って実っており、利用者

さんと梅の収穫をしました。利用者さんの中には若

い時から梅取りをしてきた方も沢山いるのでお誘い

すると皆さん

「行きたい」

「梅取りは得意なのよ」

と張り切って参加して下さり、山盛りの梅の収穫が

出来ました(^^)/

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収穫したばかりの梅は香りも良く、それぞれ

「ええ香りやわ~。外もあったかいし最高やわ」と

楽しんでくださいました。

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「手」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

今回も委員会の時に配布したコラムの紹介です。

昔、利用者から聞いた、今では考えられない出来事です。

本当に僕なんかの文章じゃ伝えきれないんですが、ひまつぶしにどうぞ♡

委員会が始まるまでの暇つぶしコラム

        『手』

僕がまだE棟のリーダー補佐をしていた頃の話。

利用者Bさんの車椅子肘置きに手を置いていたら、

Bさんは僕の手を撫でながら

「キレイな手ね、女の人みたい」と寂しい顔をした。

そんなBさんを笑わそうと、僕は

「今なら30分手を触り放題5万2千円のコースがあります」

と冗談を言った。恋愛中です

Bさんは「100万円でも払うわ」と笑いながら

僕の手を握り話し始めた。

私の生まれた所は田舎で人手も少なく、

子供も私と近所に住む同い年の男の子

「たっちゃん」の二人だけだった。

学校は遠く、山を越えなくちゃ行けないんだけど、

今みたいに外灯なんかある訳ないから真っ暗になるし大変だった。

たっちゃんと手を繋ぎおしゃべりをしながら学校に通っていた。

温かくて優しい手だった。両手

でも今思うとよくもまぁあれだけ毎日毎日話す事があったなぁと思う。

(この時笑ったBさんの顔は子供の様だった)笑顔

学校以外でも卒業してもずっとたっちゃんと一緒にいた。

たっちゃんしか居なかったし、好きだったのかどうだったのかも解らん。

川に行ったり山に行ったり、お互いの家の手伝いをしてた。

18歳の時、たっちゃんの所に「赤い手紙」が届いた。

解る?兵隊として呼ばれたの。上目づかい

皆、お国の為に働けるって喜んでたけど私は悲しかった。

でも皆も本当に喜んでいたのかなぁ?

今思うと解らん。

たっちゃんが出発する前日の夜、

私が「たっちゃんと一つになりたい」って言ったら、

たっちゃんは私の頭をポーンと叩き、

「帰ってくるから…」と笑った。

(そう少し照れながら話すBさんの表情は

これまで見た事のない表情だった当惑した笑い。

それからしばらくして父から、結婚の相手が決まったから

二つ山を越えた村まで嫁ぎに行きなさいと言われた。

昔は結婚相手を自分で選べる時代じゃなかったから

私は結婚し、その人の赤ん坊を産んだ。

赤ん坊がまだ生まれて一ヶ月位の時、

家であやしていた時誰かが訪ねてきた。

ドアを開けた瞬間びっくり、そりゃあもう

心臓が止まる位おどろいた…たっちゃんだった…

子供を抱いたままびっくりして何も言わない私に

たっちゃんは「抱っこさせてくれ」って

赤ん坊を抱っこしたんだけど、右手の指が2本位無かった。

アンタ(僕)みたいにキレイな手だったのにボロボロだった。

「お前の小さい頃によく似てる」

それだけ言うとたっちゃんは帰って行った。

それから一度も会っていない。

今はもう、たっちゃんの本名も思い出せない…

その内全部忘れるやろな…

そう言うといつものBさんの顔に戻った。

僕達が生きる今の時代は

本当に多くの人の様々な想いや努力、苦労の末にあるのだろう。

Bさんの居室には優しく笑うご主人の遺影が飾られていて、

あの時の赤ん坊は両親の愛情に包まれ成長し、

月に1回位面会に来ては、互いの事を心配し親子喧嘩をしていた。

Bさんは数年後寝たきりとなり、皮膚が乾燥し痒みがあり、

オムツをよく外すから、その度に「オムツ外したら汚いでしょ」と

職員から言われていた。

会話も出来なくなり、全部忘れてしまったのか解らないが、

僕は利用者一人一人に歴史があり、

唯一無二の存在である事を改めて気付かせてくれたBさんに感謝し、

「30分触り放題コース」の5万2千円は請求しなかった。

Bさんがお亡くなりになり、E棟の静養室で

子供さんが握っていたBさんの手は、

シミだらけでシワシワでボロボロの、とてもキレイな手だった。

                      おしまい♡

地域交流

利用者様といつも笑顔で。。。がモットーの

相談員 水野です。

5月のたくたく会で利用者の皆さんと野菜等

を使って、スタンプを押して作品を作成した

ことは、ご報告させて頂きましたが、その作

品を、地域の保育園・幼稚園・小学校・支援

学校等に、梅林園からのまた会える日に向け

ての招待状として、お渡しさせて頂いており

ます。

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今回は、八幡支援学校の先生と生徒さんに、

利用者様と一緒にお渡しさせて頂きとっても

、喜んで頂きました。

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コロナが落ち着いて、直接の交流が出来るよ

うになるまで、また、せっかくできたご縁を

絶やさない様、交流を続けていきたいと思い

ます。