「フィードバック」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

またまた、委員会にて配布したコラムを掲載します。

僕の悲しい思い出についてです。ひまつぶしにどうぞ♡

委 員 会 が 始 ま る ま で の 暇 つ ぶ し コ ラ ム

     『フィードバック』

 皆さんは「フィードバック」という言葉を御存知でしょうか?

フィードバックを上手く行える事は指導者として必要なスキルで、

人からフィードバックを受けるという事は、仕事のみならず、

自らを成長させる手助けとなるのです。

知っている人も多いと思うので簡単に説明すると、

砲撃手がミサイルを目標に向かってドーンと打ち、第三者が、

着弾点が「目標から西に◯◯フィード、北に△△フィードずれている」と伝え、

砲撃手がそれを元に修正し目標に弾を当てるという事で、

実行した事のズレを伝え、そのズレを自ら修正させる事で成功に導き、

結果として成長させるという事をフィードバックといいます。

5月初旬、長女が11歳の誕生日を迎えたが、僕はビックリした。

プレゼントは服を自分で選んで買いたいと言うのだ。

もうオモチャよりも自分を着飾る物が欲しいという年頃に成長してしまった。

もちろんコロナの影響で買い物には行けないから、

娘は僕のスマホを使ってAmazonの奥地へ冒険に行ったのだが、

楽しそうに選んでいる娘を見ていると、ふと「ある出来事」を思い出した。

僕が中学1年になった春、母が僕に

「そろそろ自分の服は自分で選びなさい」とお金を渡してきた。

これまでは母がイトーヨーカドーで買った服を着ていた訳だが、

何だか大人になった気がして嬉しくて、

僕の考え得る最高のオシャレスポットである「ジーンズメイト」へ向かった。

オシャレな洋楽が僕を迎え、店員が全員サーファーに見える。

ズラリと並んだオシャレな服の中から必死にコーディネートを考え服を買った。

すごく気に入って、しょっちゅうその服を着て、

意味もなく当時好きだった子の近所をウロウロしたりしていた。

夏休みとなり、車で田舎へ帰省する途中、僕はトイレがしたくなって

サービスエリアに寄ってもらった。車から降りてトイレに行こうとすると、

母が「姉もついでに行っとき」と言ったが、

姉は「イヤだ、だって介男の服ダサすぎて恥ずかしい!」と言った。

僕はカチンときて、「はぁ!?」と返すと、

母が「いいのよ、介男が自分で選んだんだから」と姉に言った。

その瞬間、僕は母の「いいのよ」の前にあるであろう

“ダサくても”という言葉を読み取り、衝撃を受けた。

1人でトイレに行き鏡を見ると、最高にオシャレだと思っていた魔法は解け、

メッシュのVネックTシャツに

七分丈のダボッとしたデニムを履いた短足のブ男が映っていた。

「あぁ…俺は元々の見た目が悪い上にオシャレのセンスもないな」と心から思った。

車に戻ると「眠たいから寝る」と訳の分からん理由を言って、

鞄からパジャマを取り出し車内で着替え、ふて寝した。

その日から僕はオシャレを諦め、今でも嫁さんに選んでもらっている。

もし初めて1人で買いに行ったあの日に母が

「このメッシュは下に何か着た方が良い」とか

「短足は七分丈はやめた方がいい」と

フィードバックしてくれたらズレを修正し成長したかも知れないのに

「アラ!ダサい!!でも介男が自分で選んだんだし黙っておこう♡」と思った母は

本当にアホだ。

「あの服」を着て当時流行っていた「ボディーガード」の

ケビン・コスナーを意識して眉間に皺を寄せ、

公園に座っていた僕は決してアホではなく、

母のフィードバックを受ける事が出来なかった被害者なのだ。

もし部下や同僚等の仕事がズレていたら、その人の成長の為に

フィードバックをしてあげて下さい。

もし上司や同僚から指摘や文句を言われてもフィードバックを受けたと考え、

自分の成長に繋げて下さい。完璧な人間なんて居ないから「出来ない事」は当然あります。

だけど「出来ないままにしない事」が大切なのです。

フォローしてもらいながらフィードバックを受け、出来るようになったら

「出来ない人」のフィードバックをする。

だから「出来ない」で悩まず、周囲からの指摘を恐れず頑張りましょう。

ひょんな事で魔法が解け、真実が見える事があるかも知れないから…

そんな事を考えながら僕は、必死に服を選ぶ娘がもしズレていたら

しっかりとフィードバックしてやろうと待っている。

俺は母とは違う。

ひーちゃん、いつでも父ちゃんに聞きなさい…

(ナレーター)

そう考え「父ちゃんコレどう思う」をひたすら待つ父であったが、

その質問が来る事はなく、後日、嫁さんと娘で相談して買った服が、

どさくさにまぎれた嫁さんの服と一緒に届いたのであった…

おしまい

節分

楽しいから笑うではなく 笑うから楽しい

鬼も猫も田んぼが漢字に入っているという事は

何かの縁を感じる行事委員の叶です。

今年も節分の季節がやってきました。

年男、年女の皆さんを含め皆さん参加され

赤鬼、青鬼に向かって力いっぱい豆やボウロを

投げつけていました(^^)/

「鬼は~外」というと

自然と「福は~内」と声がかかり、

昔からある行事は皆さん本当に楽しそう。

最後には鬼が良い鬼になって、清心保育園の園児さんが

事前に音取りをしてくれていた「豆まき」の歌に合わせて

みんなで一緒に歌を唄いました♪♪

梅林園に沢山の福が来ます様に♪♪

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「雲泥の差だけど産んでいいのさ」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

えー今回も、僕が委員会にて配布したコラムの紹介。

ある利用者の体験談です。ひまつぶしにどうぞ♡

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     『雲泥の差だけど産んでいいのさ』

僕の家は毎年正月にカニを食べる習慣があったが、

僕だけエビフライが出された。

あの地球上で最も旨いとされるカニを僕以外は食べ、僕はエビフライだ。

当然、親の目を盗んでこっそりと食べた事があるが、

そんな時は脇腹や肘の辺りにボツボツが出来、ピリピリ痛み、ムズムズ痒くなる。

そう、僕はカニアレルギーなのだ。(オーマイゴット!!)

中学生位の時、母親に

「カニとエビフライは釣り合っていない、ここはウナギだ」と交渉すると

「ウナギは皆も食べたくなるしダメだ、せめてシメサバだ」と、

まさかの2ランクダウンの品を提示してきた。

(そもそも皆も食べたくなるって何やねん!!)

負けるものかと

「ホタテより下のラインは認めん」と食い下がると

「ウチは兄弟3人共アレルギーがあってそれぞれ我慢しなくちゃいけない」

と公平性を主張してきたが、僕にとっては絶好のチャンスだ。

なぜなら姉の金属アレルギーはまだしも、妹のアレルギーはアロエだ。

あんなもんアレルギーでも、無人島でヤケドした時以外困る事はない。

アレルギーは不平等だ。

「俺のアレルギーが一番つらい、カニは我慢する。だからウナギを!!」

「アナゴなら」

「安い!!」

なんてやりとりをした結果、僕はアレルギー治療の為通院する事となり、

確か6~7か月位でカニを食べられるようになった。

あっ!!そういえばヤケドで思い出す人が居るんヤケド、

ちょっと書いてみる。

今から15~16年前、背中の真ん中辺りに10㎝×15㎝程の

うっすらとしたアザのあるTさんという利用者がおられた。

Tさんに「背中に四国みたいな形のアザがあるの知ってる?」

と聞くと「知ってるも何も忘れられへんで」と言って話してくれた。

Tさんは山の中にある小さな集落に住んでいて、

産婦人科どころか医者すらいない所だった。だから自分が妊娠してるって

解るのも、トイレがしづらくなってから気付くらしい。

当然予定日とかも解らないから、その日もいつもの様に大きなお腹で

畑仕事をしていたら突然産まれそうになって、頭の先が出て来たそうだ。

(あくまで本人の話)

同じく畑仕事をしていた姑さんを死ぬ思いで呼び、

手を貸してもらいながら家に着くと、

姑さんはコタツをひっくり返しTさんをその上に寝かすと、

コタツの足に両手両足をしばり、さっきまで畑仕事をしていた手を

水でササッと洗い、そのまま引っ張り出して出産をしたんだって。

普段使っている包丁でへその緒を切って“薬に使うから”って保管して、

胎盤は壺に入れて庭に埋めたらしい。出産が痛くて痛くて

気が付かなかったそうだが、この時背中をヤケドしたんだって。

ちなみにこの時はアロエじゃなくて「キュウリのクサレ汁」を塗ったらしい。

(なんちゅーネーミングなんだ)その後Tさんは7人産み、

2人が1歳になる前に死んだそうだ。

2人目以降は妊娠中に旦那が藁でシーチキン…じゃなくて綱(つな)を作り、

天井から吊るし、その綱(つな)を握って立ったまま産んだんだって。

(これがこの地方のスタンダードなやり方らしい)

悪魔?が子供に宿るから出産の時に声を出してはいけない

ルール?信仰?もあったそうだ。

普段は芋とか野菜を食べるんだけど、産後は母乳を出す為、玉子粥に

かつお節をかけたのを食べて、それがとーっても美味しかったんだって。

8人産んだけど、やっぱり1人目は大変で印象に残っているそうだ。

すごい体験ですよね。

現代の出産と全く異なる、なんて言うか、精神も肉体も強い。

長年介護職をしているけど、80歳以上で喘息とかアトピーとか花粉症、

アレルギーの利用者を見た事が無い。

(そろそろオチへ向かうか…)

僕達介護職員は、このすさまじい時代をたくましく生き抜いて来られた

強さにかなり助けられているのだろうから、

梅林園が100周年を迎える頃の介護職員は大変だろうと思う一方で

「昔はよかった」と「昔は大変だった」が常に混在している事を考えると、

「有事大変という自体変」なんだと思う。

(キマッた!!)皮肉な笑い

              おしまい(I want to eat crab)

1月お誕生日会

楽しいから笑うのではなく笑うから楽しい

子供たちに馬鹿にされたけど、

粗品で貰えるお菓子が欲しくてスーパーに応募した

「猫を愛でる俳句」がちゃんと

店内に飾られていてハッピーな行事委員の叶です。

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1月の誕生日会!

一年を通し一番多く、なんと40名程の誕生月の方が

いらっしゃいましたが、年に一度のおめでたい事なので

お一人お一人にお祝いをさせて頂きました。

「恥ずかしいからいいわー」とおっしゃられていた方も、

いざお誕生日席に着くと満身の笑顔でろうそくを

吹き消してくださったり、めでたく100歳を迎えられる方に、

ビブラートの聞いた素敵な歌声で他の利用者さん達も

お祝いの唄を唄って下さり、ハッピーな気持ちになりました。

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今月の誕生日ケーキは、園内で採れた柚子を

使用した柚子ケーキでした(^^)/

本当に1月誕生月の皆さんおめでとうございます。

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富野小学校から頂きました。

利用者様といつも笑顔で。。。がモットーですが、

最近相談室に訪ねてくる利用者様が増え、

今日はどんな相談が来るのか楽しみな相談員 水野です。

遅くなりましたが、昨年末に富野小学校の先生が

今年度のカレンダーを届けてくださいました。

2枚の素敵な絵のついたカレンダーをメッセージと

共に貼らせて頂きました。

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利用者様も今日は何日かなとカレンダーの前で

立ち止まって見ておられます。

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一年間大事に飾らせて頂きます。

ありがとうございました。

「志村―!!うしろー!!」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

はてさて今回も、僕が委員長を行っている委員会にて配布したコラムを紹介します。

2020年の初夏位の時に書いた個人的見解コラムで、

なんだかオムニバスにしたくて3本立てです。

ひまつぶしにどうぞ♡虹

委 員 会 が 始 ま る ま で の 暇 つ ぶ し コ ラ ム

     『志村―!!うしろー!!』 

このタイトルにピンと来た方は恐らく45歳以上ではないだろうか?

そうタイトルの「志村」とはコロナウィルスにより亡くなられた

キングオブコメディアン志村けんさんの事だ。

日本人で彼を知らない人がいるのだろうか?

僕も子供の頃によく彼のコントは見ていて、

まぁコンプライアンスなんて言葉もなかったし、めちゃくちゃだった。

ビール瓶で頭をシバかれたり、食べ物を頭からぶっかけたり、

上半身裸の女性をトランプに見立ててうつ伏せに寝かせ、

お腹に書かれた絵で神経衰弱をしたり…

という本当の意味での「バカ殿」のコントを母親と一緒に見ていて、

思春期の僕が本当の意味で神経が衰弱したのを思い出す。

(妙に無言になるよね)

“70歳という若さでお茶の間の人気者である、あの「志村けん」がコロナで死んだ”

このニュースはコロナウイルスに対して、

どこかエイズとかエボラみたいに「まぁどっかで大変なんでしょ」という位の

認識であった人達に危機感を持たせ、行動や意識を変えた。

「志村のうしろ」には、その事で助かった多くの命があるのだ。

     『危機感』

危機感を持つ事は大切な事だ。僕も当初は危機感がそこまでなく、

報道等を通して危機増したと聞きましたが、どこか心の奥に根拠のない

“自分は大丈夫”という思いがあった。

「危機感がない」という状態は、ノーガードのボクサーみたいな事だ。

大切な所を常に守り、相手がどこを打ってきたらどう守るのかイメージし、

あらかじめ考え不測の事態に備えガードする。

ノーガードでは相手にボコボコにされてしまうだけだ。

そう、今は人間とウイルスのタイトルマッチでゴングはとっくに鳴らされている。

不安は必要ない、「危機」という漢字は「危険」と「好機」という言葉の合体らしい。

要するに「ピンチはチャンス」利用者の安全を常に守り対策を考え、

不測の事態に全職員が協力連携して行えば、組織としての土台が強くなり、

台丈夫なら大丈夫なのだ。だからたとえ動物が相手でもどうブツか考えるのだ!!

     『家族』

「はーちゃんもし外でコロナを見つけたらメチャメチャに踏んづけてやる!

だってコロナのせいで学校に全然行けへんねんもん!」

そう話す次女はコロナウイルスの事を動物みたいにイメージしているのだろう。

僕は阪神淡路大震災の時は関東にいて、東日本大震災の時は関西に居たので、

どちらもTV画面の向こうの出来事だった。

TVを見る度に倒壊した家は何棟だ、とか死者何人だ等の数字が増えていって、

少しずつその被害の全貌が明らかになっていったが、

今はTVを見る度に感染者が増え仕事や経済等生活への影響も広がり、

自分もその渦中に居て被害の全貌が解らず、世界中の人々が

しつこく質濃く漆黒の中に居るようだ。といっても良い事もある。

家族と居る時間が増えたのだ。

今は仕事の時以外は2人の娘と1匹の犬とずっと遊んでいる。

休業中だから子育てをする「育メン」の増加を伝えるニュースをTVで見た後に、

お風呂で「父ちゃんは肉メンだね」と言う娘に

我が子ながら上手い事言うなと感心しつつも

「はーちゃんなら悪口言われても憎めんなぁー」と

父親として負けじと語彙力の高さを見せつけたりしている。

外出する事が出来ず家の中で娘達と楽しく遊んでいたら、

嫁さんが「仲が良いね」と声を掛けてきて、娘2人が同時に「外が良い!!」と言った時は、

嫁さんと2人で「そうだね」と笑って返した。

母親から「コロナにはカレーを食べたら良いらしいよ」と

相変わらず訳の分からないラインが来たが、僕の事を心配してくれているし、

父親は「ゴルフに行ってもシャワーは家でしているし安心してね」と

家族ライン送ってきて、全員から「そもそもゴルフ行くんじゃねー」と心配され、

結局家族って良いよねって改めて思う。

だから家族との面会が制限されている事の重大さ、

それでも制限する意味を理解しなくちゃいけないんだと本当に思う。

            おしまい(Look on the bright side)

どんど焼き

楽しいから笑うのではなく 笑うから楽しい

令和4年も利用者さんと猫の為に

研鑽をしていこうと思う行事委員の叶です。

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一年間利用者さんと一緒に作った作品や、

門松や注連縄を燃やし、歳神様に煙に乗って山に帰って頂く

どんど焼き(左義長)をたくたく広場で行いました。

煙を浴びると一年健康でいられるという事で

利用者さんも希望者の方達に参加してもらいました。

雪がちらつく寒い日でしたが日の周りはポカポカと暖かく

「煙を浴びとこ!!」と皆さん手をかざしておられました。

今年も一年健康で過ごしましょう(^^)/

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年賀状ありがとうございました。

利用者様といつも笑顔で。。。がモットーですが、

大掃除が出来ないまま、年末年始があっという間に

過ぎさって行った相談員 水野です。

新型コロナウイルスが発生してから、

2回目のお正月を迎えました。

梅林園では、ガラス越しの面会は継続させて頂いておりますが、

直接の面会は、もう少し先になりそうです。

引き続きご協力よろしくお願いします。

昨年に引き続き、こもごもで、

利用者様に年賀状を送って頂けるようお願いさせて頂きました。

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最近は、年賀状を出さない人が増えていると聞きますが、

利用者様の年代では、やはり新年のあいさつは年賀状がなじみ深く、

これが無いとお正月らしくないと感じる方が多いようで

皆さんとっても喜んでおられました。

たくさんのご家族のお話しも聞かせて頂き、

ほっこりとした時間となりました。

皆さまご協力ありがとうございました。

P.S. 梅林園でも新型コロナワクチンの3回目接種を

1月の下旬より開始させて頂きます。

ご希望された方につきましては、市町村より、

ワクチンの接種券がお手元に届きましたら、

園まで早めに届けて頂きますようご協力お願いします。

「1/10000の2X」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

僕はある委員会の委員長を行っていて、

その委員会でコラムを毎回配布しているのですが、

本日はその中の1つを掲載致します。

2年前の1月の委員会にて配布をした、思い出のコラムです。

ひまつぶしにどうぞ♡

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『1/10000の2X』 

新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します。

さて、今年は梅林園創立50周年ということで、

幸運に恵まれるよう運のつく話を書こうと思う。

これまで介護職として18年働き、1000人以上の利用者に1万回近く

オムツ交換をしてきた訳だが、今回はその内の1回について。

僕はその日、職員のTさんとB棟で夜勤をしていた。

当時は今と違いABCはそれぞれ分かれていて、6人部屋もあった。

時計を見ると20:55、Tさんに「そろそろオムツ行きますか!」と声を掛け、

2人でオムツ台車を押して1番手前の「しらかば」居室に入る。

入った瞬間漂うコート(便の事)臭で、この部屋の6人の内

誰かのオムツからコートが漏れている事を察したが、まぁよくある事なので

僕もTさんも何も言わず、それぞれ左右1番奥の利用者の所へ向かった。

どちらが当たるかは運まかせだ。(便だけに)

「さぁ誰だ」なんて思いながら1人目の利用者の所に着き布団をめくろうとすると、

上着の首の所からコートがダラァ~と漏れていた。

布団をめくらずとも、大量のコートがオムツからあふれ背中を越え

首元から出ているという状況は想像が出来、

さらにその利用者はこちらの意思が伝わらず介護抵抗すら見られる人であった。

「Tさん、この方でした…」

反対側で布団をめくりオムツを変えようとしていたTさんは、

僕の方を見て僕と同じ状況をイメージし、オムツ交換をやめ、

そっと布団を掛け直し寮母室へバンダナを取りに行ったから、

僕も風呂場に公用のタオルを取りに行った。

大量のコートとの一戦は、目に汗が入ったら終わりだ。

Tさんはバンダナを、僕はタオルをそれぞれ頭に巻き、リングへと向かった。

ありったけの清拭やら色々と用意をし、開始のゴングが鳴った。

(布団をめくったって事)

予想通り見た事もない程のすごい量で、介護抵抗も見られたが、

Tさんと声を掛け合い全身を拭き、衣類を交換していった。

途中でナースコールが鳴り「私が行くわ」とTさんは上半身だけ走って向かって行ったから、

僕は(頼むから下半身も走ってくれよー)なんて思いながらも1人で出来る事をした。

Tさんも戻ってその利用者をベッドからストレッチャーへ移し、

シーツやら枕やら全て交換している途中の

「こんなにたくさん出したら気持ち良いやろね」と話す

Tさんの感性が僕の疲労感に充実感をもたらした。

やっとの事でその方の保清も終わり、一旦寮母室へ戻り一息つく事にした。

僕はタバコに火をつけ(当時は寮母室で吸えたのです)換気扇に向かって煙を出す。

一仕事終えた後の一服は最高だ。

するとTさんが鞄からマックフライドポテトを取り出し「食べる?」と言ってきた。

(夜勤のおやつにフライドポテトって!)

と普段なら突っ込む所だが、

2人で苦労を分かち合った直後という事もあり、何も言わずニッコリ笑って手を伸ばした。

冷めきってシナシナを通り越し、

柔らかめの芋けんぴみたいになったポテトを2人でつまんでいると、

Tさんが「もう10時半過ぎてるね…普段ならオムツ交換終わってる頃ね…」と言った。

「まだ1人しか終わってませんもんね」と返す僕。

「コート表にさっきのコートの量どの位って書こうか。5Lくらいかなぁ?」

「いやもう繰り上がって2Xとかですよ(笑)」

「夜は長いしゆっくりやろうね」

「そうですね、まだ12時間位ありますから」

「大変だったけど介男さんと2人だったしへっちゃら♪」

注)僕とTさんは歳の差30歳位あります、決して恋バナではありません。

そんなやりとりをしていると、段々やる気が上がってきた。

Tさんは不意に「ごめんね、コレ全然美味しくないね」と

僕が1口目から言いたかったことを言ってきた。

「正直激マズです」と返して2人で笑った。

「さぁ気合入れてオムツ行きますか!」

「そうね」

と2人で残りのオムツ交換へ向かった。

今思ってもあの時の量を超えるコートには出会っていない。

介護抵抗もあり1時間半位かかったしんどい仕事だったのに、

今思い返すと楽しい思い出となっているから、介護職はフシギだ。

おしまい。

注連縄作り

楽しいから笑うではなく 笑うから楽しい笑顔の「まばたき」

嫌な事をされたら7代祟るのに、

3日で恩を忘れる猫みたいな生き方は駄目だと思う

行事委員の叶です猫の顔

今年も注連縄づくりが行われました。

利用者さん、ベテラン職人だらけです(^^)/

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「車椅子に座ってたらうまく力の調整できないから

降りてやってみるわ♪♪」

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「奥さん、上手やな」

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「私は農家の娘だからできるけど、

農家の娘じゃなくても出来るわよ!!」

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「昔、母が注連縄と一緒に草履も作ってくれたわ~♪」

「私の母も」

と皆さん話をしながらも仕事が早い早い。

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出来上がった注連縄は各部屋に飾らせて頂き年神様をお迎えします