「社会人のマナー」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

今回も委員会で配布したコラムですが、

ある御利用者との思い出です。ひまつぶしにどうぞ♡

委員会が始まるまでの暇つぶしコラム

      『社会人のマナー』

いつものように仕事をしていたら、PHSに相談員から連絡が入った。

「入院中のSさんが亡くなった」との事。

僕はいつもの様に仕事をする。

企画部に行き、次の入園者について話し、

何日かしたらSさんの家族が引き継ぎの為に来園されるから、挨拶に行く。

この時神妙な顔を作り、お亡くなりになった事を

悔やんだフリをするのが社会人のマナーなのだ。

Sさんは明るい性格で、声を掛けるとその返しがユニークだった。

「もう夜やで。」というと「アラそう、一緒に寝る?」とか、

「朝ご飯やで。」なら「アラ嫌だ、メイクがまだよ。」

なんて具合だ。

Sさんは僕が棟のリーダーをしている時入園された人で、

僕達は利用者の入園までの経緯を「生活歴」の欄を

読む事で知る事が出来る。Sさんの生活歴には

「横浜で軍人である夫と結婚し、

夫からかなりの暴力を受けていた」と

壮絶な出来事が一文にまとめられていた。

この一文の中身を想像すると、そんな事を感じさせない

彼女の明るさ(下ネタが多かったケド)は

強く気高いものだと感じるには充分だった。

Sさんには一人娘が居たが、保証人は娘婿で、

第二、第三保証人もそれぞれ孫であった。

入園当初、娘さんは頻回に面会に来ていた。

面会に来ると居室の掃除をしたり足のマッサージをしたり…

僕が一度

「細目に面会に来て下さりありがとうございます。」と言ったら

「大変な父の為、母はいつも苦労していたんです。

だからもう大好きな母に苦労させたくないんです。」と

母親への愛情をストレートに伝えてきた。

僕はその時まだ娘さんの想いを知らなかったので

そのストレートさに珍しさと羨ましさを抱いた。

そんな中でもSさんは、居室で転倒したら

「ベッドの下にイイ男が居ないかなって思って…」とか

「今は朝?夜?昨日の夜激しくって解んなくなっちゃって…」とか、

少しずつだが確実に、肉体も頭脳もその機能が低下し、

その事を自覚していたが、彼女の強さが冗談で包み明るく見せていた。

Sさんの生活歴の所にはもう一つ記入されていて

「一人娘が居るが身体が弱く介護が行えない」といった内容だ。

娘さんはいつも夫婦で来て旦那さんは

居室前のソファに座ってボーッとしていて、

娘さんがSさんの所に行って話したり掃除をしたりしていたのだが、

そのボーッとしているはずの旦那さんが僕の所に来た。

「入園する前から妻は癌であった。だから母親を施設へ入れた。

治療をしていたが再発した。治る見込みはない。」との事。

僕はストレートに大好きと言える理由がほんの少しだけ解った。

居室では親子水入らずで「お母さんどう?」

「ここは男前が少ないから嫌になっちゃう。」

なんていつも通りの会話をしているが、確かに娘さんは痩せている。

旦那さんは「今日を最後の面会にしようと話し合って来た。

どんどん痩せて弱って行く姿を見せて心配させたくないから。」と言った。

娘さんはSさんに笑顔で「またね。」と言って立ち上がり、

背を向けた瞬間、堪えていたであろう感情があふれ泣き出していた。

顔をクシャクシャにして大粒の涙をこぼしながらも、

後ろにいるSさんには決して解らないよう振る舞い、

僕にいつものように「お願いします。」とだけ言うと、

いつもはエレベーター前で見送るSさんに手を振りながら帰るのに、

見送ろうと必死に車椅子をこいで

Sさんが後ろから来ている事を知っているのに、

そそくさと帰って行った。

「アラ、愛想の無い子ねぇー、誰に似たのかしら。」

と言うSさんに「親の顔が見たいよ。」と返すと

「アンタともう1人作ろうか。」なんて話していたが、

心の中では「娘さんはSさんに似てとても強い人だよ」と

感動しつつも、こんなSさんとの明るい会話に助けられ、

僕は介護のプロとして笑顔でSさんの横に居る事が出来た。

しばらく経ったある日、相談員から

「Sさんの娘が亡くなったが、本人には伝えない意向である」

との連絡が入った。

僕達は意向を申し合わせ伝えなかったのだが、

ある日、僕はSさんと何かの会話の流れで

「子供は宝」みたいな事を話した時、

Sさんは「私の娘は最近全然顔を見せないのよ。

この間来た時だいぶ痩せていたからもう死んじゃったのかしら。」

と冗談を言った。…というか、冗談だったのか、

全てを理解した上での彼女の強さだったのか、

最後の面会の時よりも認知も進行していたし、

解らないし、確かめようもない。

僕は管理職となり日常的にSさんと関わる事が減り、

Sさんと最後に交わした会話は

「嫌ね私ボケちゃって、その内何も解らなくなって、

娘の旦那に手を出したらどうしよう。」という「らしい」会話だった。

Sさんは亡くなった事で娘さんとの

「またね」を果たしている事だろう。

今頃娘と2人で御主人をボコボコにしているのだろうか…

いやSさんはそんなに弱くないか。

「アンタで我慢するか!」なんて冗談を言って

親子3人で一緒に居るんだろうなーなんて、

そんな事を考えるとほんの少しだけ胸がクッとなるが、

油断すると少しだけ顔がニッとなってしまう。

だから家族に挨拶をする時は

神妙な顔を作って亡くなった事を悔やむフリをしなければならない。

それが社会人のマナーだから…

                         おしまい      

                    (I’m so happy that I met you♡)

「手」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

今回も委員会の時に配布したコラムの紹介です。

昔、利用者から聞いた、今では考えられない出来事です。

本当に僕なんかの文章じゃ伝えきれないんですが、ひまつぶしにどうぞ♡

委員会が始まるまでの暇つぶしコラム

        『手』

僕がまだE棟のリーダー補佐をしていた頃の話。

利用者Bさんの車椅子肘置きに手を置いていたら、

Bさんは僕の手を撫でながら

「キレイな手ね、女の人みたい」と寂しい顔をした。

そんなBさんを笑わそうと、僕は

「今なら30分手を触り放題5万2千円のコースがあります」

と冗談を言った。恋愛中です

Bさんは「100万円でも払うわ」と笑いながら

僕の手を握り話し始めた。

私の生まれた所は田舎で人手も少なく、

子供も私と近所に住む同い年の男の子

「たっちゃん」の二人だけだった。

学校は遠く、山を越えなくちゃ行けないんだけど、

今みたいに外灯なんかある訳ないから真っ暗になるし大変だった。

たっちゃんと手を繋ぎおしゃべりをしながら学校に通っていた。

温かくて優しい手だった。両手

でも今思うとよくもまぁあれだけ毎日毎日話す事があったなぁと思う。

(この時笑ったBさんの顔は子供の様だった)笑顔

学校以外でも卒業してもずっとたっちゃんと一緒にいた。

たっちゃんしか居なかったし、好きだったのかどうだったのかも解らん。

川に行ったり山に行ったり、お互いの家の手伝いをしてた。

18歳の時、たっちゃんの所に「赤い手紙」が届いた。

解る?兵隊として呼ばれたの。上目づかい

皆、お国の為に働けるって喜んでたけど私は悲しかった。

でも皆も本当に喜んでいたのかなぁ?

今思うと解らん。

たっちゃんが出発する前日の夜、

私が「たっちゃんと一つになりたい」って言ったら、

たっちゃんは私の頭をポーンと叩き、

「帰ってくるから…」と笑った。

(そう少し照れながら話すBさんの表情は

これまで見た事のない表情だった当惑した笑い。

それからしばらくして父から、結婚の相手が決まったから

二つ山を越えた村まで嫁ぎに行きなさいと言われた。

昔は結婚相手を自分で選べる時代じゃなかったから

私は結婚し、その人の赤ん坊を産んだ。

赤ん坊がまだ生まれて一ヶ月位の時、

家であやしていた時誰かが訪ねてきた。

ドアを開けた瞬間びっくり、そりゃあもう

心臓が止まる位おどろいた…たっちゃんだった…

子供を抱いたままびっくりして何も言わない私に

たっちゃんは「抱っこさせてくれ」って

赤ん坊を抱っこしたんだけど、右手の指が2本位無かった。

アンタ(僕)みたいにキレイな手だったのにボロボロだった。

「お前の小さい頃によく似てる」

それだけ言うとたっちゃんは帰って行った。

それから一度も会っていない。

今はもう、たっちゃんの本名も思い出せない…

その内全部忘れるやろな…

そう言うといつものBさんの顔に戻った。

僕達が生きる今の時代は

本当に多くの人の様々な想いや努力、苦労の末にあるのだろう。

Bさんの居室には優しく笑うご主人の遺影が飾られていて、

あの時の赤ん坊は両親の愛情に包まれ成長し、

月に1回位面会に来ては、互いの事を心配し親子喧嘩をしていた。

Bさんは数年後寝たきりとなり、皮膚が乾燥し痒みがあり、

オムツをよく外すから、その度に「オムツ外したら汚いでしょ」と

職員から言われていた。

会話も出来なくなり、全部忘れてしまったのか解らないが、

僕は利用者一人一人に歴史があり、

唯一無二の存在である事を改めて気付かせてくれたBさんに感謝し、

「30分触り放題コース」の5万2千円は請求しなかった。

Bさんがお亡くなりになり、E棟の静養室で

子供さんが握っていたBさんの手は、

シミだらけでシワシワでボロボロの、とてもキレイな手だった。

                      おしまい♡

価値観が合わない

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

介護の様な対人援助職をしていると、どうしても突発的な事があったりして

委員会とかの時間にピッタリと全員が集まれない事もあります。

そんな時のヒマつぶしにコラムを配布しているのですが、

まぁオマケ程度なので読んでいる人も読まない人も、

感想とかのリアクションも無い訳で…

そんな訳でここに掲載しているのです。ひまつぶしにどうぞ♡

委員会が始まるまでの暇つぶしコラム

       『価値観が合わない』

僕は数年前、管理職となった。といっても、

サナギから蝶に変わるような劇的な見た目の変化はある訳もなく、

自身のあり方や周囲から求められる事が変わるだけだった。

そもそも僕は、課長とか次長と聞くと、

バーコード頭のオッサンをイメージしてしまう世代であるが、

今の所オッサンではあるがバーコード頭ではない。

(誰がオッサンやねん!!)幸運

この「何をイメージするか」という事は、

人の価値観を左右するからタチが悪い。そんな話。

僕がまだ学生で、実家で生活していた頃、エアコンは「贅沢品」だった。

TVのニュースで生活保護を受けている人が

夏の暑さで亡くなったという事件が報道され、

コメンテーターは「生活保護の人がかわいそうだ」

「なぜエアコンを許可しなかったのだ」等、

生活保護者をかばう声が飛び交う。

「おもいっきりTV」でみのもんたが

「ひじきは体に良い」と言えば一週間ひじきを出し続ける母が

それを見て息巻くのは当然の流れで、僕が学校から帰宅するなり、

母は行き場のない怒りを僕にぶつけてきた。

生活保護を受けている人は所有してはいけない物、

いわゆる「贅沢品」が決まっていて、

そこにエアコンが含まれていて(あくまで当時の話)

生活保護者がかわいそうだと言う。

母は働きたくても働けない、ボロボロの服を着た

おばあさんを生活保護者としてイメージしているらしいが、

ニュースを見ていない僕は、お金が受給されるなり酒を買いに行く、

働く気のないオッサンをイメージした為、かわいそうだとは思わなかった。

そんな僕に母は「あなたは一生結婚できない」と言い放った。

(結婚出来たし!!)皮肉な笑い

この時、僕と母は「生活保護者の死」という事実に対して、

その人をイメージして想像の中で会話をしていたのだ。

「価値観が合わない」なんて時は、

このイメージからの「仮説の立て方」(~だったのだろう等)が

全く違う時なのだと思う。

今までどんな経験をしてきて、どんな物の見方をするか。

それは「正しい」とか「正しくない」とかの問題ではなく、

「どんな仮説を立てるのか」だけ。

そして仮説は事実が分からない限り、どんな物でも「可能性がある」のだ。

それでも人は、自分の仮説が「正しい」と思ってしまいがちだ。

自分の価値観を「正しい」と思って過ごしているのが一番楽だし、気持ちが良い。

だから違う価値観の人と出会ってしまうと

「あの人は間違っている」と攻撃したくなってしまうのだろう。

自分の考えは「正しい」のか、「可能性がある」のか。

相手の考えは「正しい」のか「可能性がある」のか。

一度冷静に深呼吸をして考えてみて欲しい。

一週間ひじきが出続ける事が、どれだけつらいのかを・・・

              おしまい。   

大地震が来る日まで待つ理由

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

今回は2~3年前の委員会で配布したコラムですが、

職員Kさんとの思い出話です。

Kさん、僕もう40超えて娘も二人共大きくなりました。

いつかまた飲みに行きたいですね。

それではひまつぶしにどうぞ♡

委員会が始まるまでの暇つぶしコラム

       『大地震が来る日まで待つ理由』

みなさんは「プラシーボ効果」を御存知でしょうか?

ラテン語の「喜ばせる」という意味のプラケーボが語源で、

何の効果もない物を薬として処方し、患者が治ると信じ込んだら

本当に効果が出るといった「思い込みの力が状態を変化させる」現象の事を言います。

臨床心理学では、どの心理療法の技法を使うか、という事よりも、

クライアントとセラピストの信頼関係の方が

治療効果に影響を及ぼすなんて考えもあるらしい…

昔、Mさんという利用者が居た。

パッと見はいわゆる「施設に入っている高齢者」という感じがなく、

普通のおばちゃんで、会話もしっかりと行える人だった。

(話をしばらくしていると「アレ?おかしいな」と感じられますが)

Mさんは不眠症で眠剤が処方されていた。

毎日19:00頃から「薬まだ早いか…?」「まだ早い8時まで待って」の

やりとりが3回位あって(早く飲みたがるのです)

20:00に薬を渡すと「これがないと眠れへんねん」というのが日課だった。

ところがある日、理由は忘れたが眠剤が中止となり、

次の受診日まで眠れるかどうか様子を見る事となった。

その初日、夜勤に当たったのが勤続1~2年目の僕だった。

いつも通り19:00頃「薬まだ早いか?」と来たから

薬はない事を伝えると「そんなん眠れへんやんかー」と訴えてきた。

その後も何度もやって来て「頼むわー薬おくれー」と繰り返し、

段々僕が意地悪して薬を飲ませていないような構図となっていき、

実際、翌朝出勤した職員に「あの兄ちゃんが薬くれへんから一睡も出来ひんかった」と話していた。

(ちなみに当時夜間看護師はいなかった)

以降Mさんは夜眠れず眠剤を職員に訴え続け、数日後また僕が夜勤となった。

共に夜勤をする相方はKさん(女性)。

このKさんは目つきと口は京都でも5本の指に入るほど悪いが、

気立てが良く、利用者を1人の人間として普通に接し、

利用者とよく世間話をするから利用者から人気があった。

19:00を過ぎ「今日も薬ないんかー」と暗い表情でMさんが来た。

僕は内心「うわーまた一晩中続くのかー」と思っていたら、

Kさんが「まだ早い、8時まで待って」と言った。

「Kさん眠剤中止ですよ」と僕が言うと、

「何言ってんねん、薬あるでー8時な」とMさんにもう一度言うと

Mさんはさらに表情を硬くして「絶対やで、頼むで」と一旦引いた。

20:00になるとK川さんはコーヒー用の粉末クリームを紙で少量くるみ、

「これ飲んだら朝までグッスリや」とMさんに渡し、

Mさんは「喜んで」それを飲んだ。

しばらくして様子を見に行くとグッスリと眠っていたから、

寮母室に戻ってKさんにその事を伝えた。

大股を開いてイスに座り、タバコをふかしながらニヤリと笑い

「薬が欲しい言うてるのやから何でもえーから白い粉渡しといたらええんや、可哀そうやろ」

と話すKさんはまるで仁義のある菅原文太の様だった。

Kさんがプラシーボ効果を知っていたとは思えない。

ただ「眠剤なしでも寝られるか」という事にしか注目していなかった

他の職員と違い、「薬がないと不安」で

「不安で過ごしているのは可哀そう」という、

職員というより1人の人間としての道徳心から工夫し行動をしたのだ。

そしてMさんが服用していた眠剤は錠剤であったが、

日常的な関わりの中で信頼関係を築けていたからこそ、粉末であっても信じ込み、

効果があったんだと思う。

その後Mさんには偽薬としてラムネを1個飲んでもらう事となり、不眠になる事はなかった…

ちなみにこのKさんには独身で1人暮らしの頃とてもお世話になり、

僕の結婚式にも来て頂き本当に感謝しているのですが、

ある日仕事が終わり寮母室に戻ると「送ったるから1分で着替え」と

送ってくれる事となり、帰り道うどん屋で夕食を奢ってくれた。

(当時バス通勤だった)

ところが1杯だけとビールを飲み始め、結局5~6杯位飲みやがった。

帰る時「車の運転大丈夫ですか?」と聞くと

「あんなん飲んだ内に入らへん、早よ車乗り」と車を走らせた。

(15年以上前の事ですから…)

ところが駐車場を出てすぐに「アカン酔っぱらって真っ直ぐ走られへん」と言い出し、

「センター線に沿って走るからアンタ対向車きたら知らせて」と

ムチャクチャな事を言い出し、307号線の真ん中を走り始めた。

僕は対向車が来ない事を祈りながら、死ぬ思いで対向車が来たらKさんに知らせ、

家に帰った時は全身汗ビッショリだった…

僕はその日から大地震が来たらどさくさに紛れて

Kさんをシバこうと心に決めている。

だからKさん、その日が来るまで身体に気を付けて元気に働き続けていて下さい。

                      おしまい

                   (無くそう飲酒運転)

日課

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

今回も委員会にて配布したコラムを掲載します。

20年近く前の利用者の話ですが、「もっとこうするべきだった」

「あぁしとけば良かった」等、思う事ってたくさんあります。

ひまつぶしにどうぞ♡

委員会が始まるまでの暇つぶしコラム

       『 日 課 』

姉も僕も18歳の時、1人暮らしを始めた。

妹が18歳になり、同じように1人暮らしをする事になり、

父と母の2人になったら寂しいだろうと、

姉が両親に茶色でウェーブのかかった毛の長い小型犬をプレゼントした。

姉はオシャレな自分に酔うタイプなので、

その犬を「フラフィー」とオシャレに名付けたが、

母はアホなのでカタカナは憶えられず、

その見た目から「ヤキソバ」と呼んでいた。

母は毎日夜21:00頃、父の迎えも兼ね河川敷をフラフィーと散歩をしていたのだが、

ある日何かに興奮したフラフィーがすごい勢いで逃げ出した。

当時50代であった母は当然追いつける訳もなく、

父が母を見かけた時にはフラフィーの姿はなく、

息子の高校の時のジャージを着たオバちゃんが

夜の河川敷で「ヤキソバー」と叫びながら必死に走っている所でした。

「鉄格子のついた病院に送られるからやめなさい」と母を諭し、

2人でしばらく河川敷に座っていたらひょっこりフラフィーは戻ってきた。

今回はそんな話。

(どんな話やねん)

Oさんは夜19:30頃から決まって不穏になる。

職員のあとを追いかけ「ウチどーしたらええの?」とずっと繰り返し訴える。

「心配ないから」とイスに座って頂いても、おしぼりたたみをして頂いても

「こんな事してられへん、ウチどーしたらええの?」といった具合だ。

その時間はちょうど日勤が帰り、排泄介助や就寝介助に回る時間で忙しく、

当時B棟へ移動したての勤続2~3年目だった僕は、先輩から

「その内あきらめるか、疲れたら寝るから」と教わった。

毎日続くから19:00にPトイレを設置するAさん、

19:30に不穏になるOさん、20:00に点眼するBさん…と、

職員の認識は不穏である事が日常化し、特記事項ではなくなった…。

10年以上前の出来事で、その後Oさんがどの様になられたか思い出せないが、

あの不安気な表情で毎夜「ウチどーしたらええの?」と訴えていた事はすごく憶えている。

今の僕がOさんに思う事は、原因が解らなかったが、

本人にとっては上手く表現出来ないだけで何か意味があったのだと思う。

例えば記憶の逆行性喪失※が起きていて、過去19:30位に大切な何か、

もしくは、ライフワークとなっていた何かがあったのではないだろうか。

僕は毎日朝7:45に仕事の為家を出るので、休みの日でも時計を見て

7:45だとほんの少し心がザワつく。

これと同じ事なのではないだろうか?

Oさんは毎日19:30娘の塾の迎えに行っていたとしたら?

19:30にお父さんが帰って来ていたとしたら?

もし知る事が出来たら不穏を和らげる言葉を見つける事が出来たのではないだろうか。

不穏となる19:30の一点を見るのではなく、過去・現在をつなげ、線で見る事が必要で、

他職種・家族の線も加われば「面」になる。

これが大切なのだと今は思う。

認知症であっても考え方の仕組は同じで、知る事が出来るかは別として、

必ず要因はあり、知る努力をしなければ絶対に糸口は見つからないのだと思う。

もし僕の母が施設に入る事になり、

職員から「夜21:00になるとフラフラ外に出ようとするんです」と聞いたら

「その時間は犬の散歩がてら父を迎えに行っていました」と伝えようと思う。

皆さんも一度、困っている事を家族に聞いてみて下さい。

ヒントがあるかも知れません…

しかし子供の頃は母親が個性的で困っていたが、

まさか大人になってコラムを書くネタになって感謝する日が来るとは夢にも思わなかった。

本当に、当時は困っていたんですよ。

皆さんは経験した事がありますか?

二段弁当が二段共、白米だった事が…(姉はどっちもおかず)

※記憶の逆行性喪失→現在から過去にさかのぼって忘れていく症状で、

自分の中では昔の世界に戻っている状態

                               おしまい。

目標

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

今回も委員会で配布したコラムを掲載します。

2~3年前のコラムですが、ひまつぶしにどうぞ♡

委 員 会 が 始 ま る ま で の 暇 つ ぶ し コ ラ ム

      『 目 標 』

 先日、支援学校の生徒3名を職場体験として受け入れた。

以前にも書いたが、僕は『障害児』という言葉がキライだ。

どんな能力と形態をしているか、だけの問題であり、

それは「僕の足は2本だがタコは8本ある」というのと同じレベルだと思うし、

どの様に自分の有している物で生活するかという事に対して、

本人が不自由を感じる事があっても周りがそれを障害と決める必要はないからだ。

(不自由を感じていないケースもあるし)

乙武さんは「五体不満足」だが、

顔と口で女性との一線を車椅子で超えた訳ですし。

(不倫はイカンよ)

先生との事前打ち合わせの時、足に特徴があり、

長時間の立ち作業がしんどく、学校では自分から申し出るように

指導している子がいると申し送りがあった。

ロッカーにイスを置く。

休憩場所を確保する等の配慮は行うが、

こちらから気遣う声かけはせず、本人の判断に任せるという事にした。

職場体験初日、オリエンテーションで3人全員に

「介護職は記録に挑戦するアスリートではない。

例えば身体の大きい利用者を“今日は頑張って1人でやってみよう”ではなく、

同僚に“ケガをさせてしまう不安があるので手伝って下さい”と言って2人で行い、

安心と安全を提供するのが仕事です。

無理、不安、知らない、出来ない等を1人で抱え込むのではなく、

チームで支え合って仕事をしています」と伝えた。

その、足に特徴のある子(以下ポンちゃん(仮称))は、

初日に「座らせて下さい」とは言わなかった。

昼過ぎから表情が暗く見えたが、他の子と同じ様に行動をした。

帰り際一言「よく頑張ったね」と声を掛けたら、

ポンちゃんは嬉しそうな恥ずかしそうな、思春期丸出しの表情をした。

2日目は一度「座らせて下さい」と棟の職員に伝えてきた。

座っているポンちゃんに会いに行くと、少し悔しそうな

色々な負の感情の混じった表情をしていたから、

自分から想いを発信した事を褒めたら、

ポンちゃんはやっぱり思春期全開の表情をした。

3日目(最終日)は体調が悪かったのか、

座るだけでなく、横になる事もあった。

連絡を受けポンちゃんの所へ行くと、必死に平気な素振りをしながら

小さな声で「すいません」と言ってきた。

僕はポンちゃんを笑わそうと、

とおっておきのギャグを2~3個織り交ぜながら話をしていたら、

「◯◯という病気で△△という障害があり、◎◎や××が出来ない」と

自分のマイナス面を、感情を出さない様に、

そんなに悩んでいる訳ではないという体で話してきた。

絶対に悩み苦しんでいるのに、だ。

ポンちゃんだけじゃない、

もう1人の子は小学校の頃いじめられていたと話していたし、

もう1人の子は兄弟と自分は違うと話していた。

支援学校の生徒達は、将来「何がしたいか」ではなく

「何が出来るか」でもがいていて、

「自分が出来る事」と「マイナス面を超える武器」を作り

社会人になる事を目標にしていて、学校も保護者もその事をフォローしていた。

例えば3人共、礼儀作法が徹底されていて、誰もいない部屋に入る時でも

「失礼します」と言って頭を下げ、話しかける時は

必ず「すいません、今よろしいですか」と枕言葉をつける。

生徒達にとって社会人である僕達は彼らの目標であり、

僕達を通して社会を見に来ているのだ。

ポンちゃんには職場体験の初めと終わりの挨拶をするという役割があった。

初めの挨拶の時、僕と園長に対してポケットからメモを取り出し

ガチガチに緊張しながらメモに書いてある挨拶を小さな声で「音読」した。

16歳の少女にとって、人前で話す事はもとより、

初めて会うおっさん2人で(園長スイマセン)しかも施設長と管理職だ。

とてつもない重圧だっただろう。

3日間の体験が終わり、挨拶の為園長室に向かう道中で

「またポンちゃんが挨拶するの?」と聞くと、

3日間出しっぱなしだったメロンパンみたいにカチカチの顔で

「はい」と返事をしてきた。

「初日の挨拶カチカチやったもんね、3日間高齢者と接してきたでしょ、

園長も同じ様なモンだよ」と言って園長室のドアをノックした。

ポンちゃんは初日と同じ様に震える手でメモを取り出し挨拶を始めた。

一見すると初日と同じ様に緊張してカチカチの少女が

挨拶の書かれているメモを読んでいるのだが、僕は見た。

ポンちゃんは3回視線をメモから離し、園長へ向けていた。

それは「音読」ではなく「挨拶」だった。

すごく小さな事だが僕にはとてつもない成長を感じ、

うっかり泣きそうになった。

生徒達はあと2年学校で社会人になる事を目標に努力を続け、

すさまじい成長をするのだろう。

それぞれが有している能力と形態で生きていく為に…

僕の形態は2年後、ほうれい線とウエストが増えるだけなのに…

せめて彼らの様に目標を立て、そこに向かって成長しなくちゃ…

なんてクサい事書いていたら今回のコラムにオチがない事に気が付いた。

まぁそんな回があってもいっか。

今回は彼らの追体験に付いた意見だ。

                    おしまい

                  (You can do it!!)

健康寿命

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

今回も委員会で配布したコラムを紹介します。

以前おられた利用者の思い出話しです。ひまつぶしにどうぞ♡

委 員 会 が 始 ま る ま で の 暇 つ ぶ し コ ラ ム

                     『健康寿命』

今から約100年前の平均寿命はおよそ43歳らしい。

今は大体84歳位なので、ほぼ倍になっているのだが、

最近はさらに「健康寿命」なんて言葉も出ている。

健康寿命ってのは「健康で自立した生活を送れる期間」の事で、

男女の違いはあれど平均寿命との差は9~12年あるらしいので、

人は死ぬ前の9~12年は不健康で自立出来ない生活を送る事になる。

昔は病気になると「治る」か「死ぬ」かだった。

ところが医療の進歩により「死なないけど治っていない」

という事が増え、病気と共に生きる事。

言うなれば病との「共生」という状況が生まれ、

リハビリや介護といった業種が誕生した(と思う)。

つまり僕達の仕事は、利用者の病を理解し、

病との「共生」と手伝う事と言える。

Tさんは50代でリウマチを発症し、

少しずつ身体の自由を失い健康寿命が終わった。

認知症はほとんど見られず、80代で梅林園に入園されるまで30年近く、

家族の助けやヘルパー等により、リウマチと「共生」して来られた方だ。

Tさんはお茶をほとんど飲まなかった。

理由は簡単でトイレに行きたくなるからだ。

Tさんはお風呂を嫌がった。

理由は簡単で手足を広げられると痛いからだ。

ベッドに横になるのも嫌がった。

毎日、今日の夜勤が誰なのか尋ねてきた。

寒い日でもブラウスとチョッキを着たがった。

頼み事をする職員を決めていた。

以前は長髪だったらしいが、とにかく短髪にしたがった。

おやつはチョコレート等は嫌がりビスケットを希望した。

介助すると「ありがとう」ではなく「すいません」と言った。

食事は必ず3割位残した。

寝る時は必ずナースコールを握らせてと懇願した。

息子に「孫を面会に連れて来ないで」と頼んでいた。

職員の動きや表情を常に見ていた。

便薬を飲むのを嫌がった。

これがTさんとリウマチの共生だった。

リウマチと解った時、いつか動けなくなる事を考えて不安で毎日泣いたんだって。

もうすぐ産まれる孫を抱く事も、自分の顔に付いたご飯粒も取れない、

ダルマみたいになるって泣いたんだって。

でも実際ダルマみたいになったら、いかに身体も心も動かさないように

するかだけを考えるから泣く事はもうないって話してた。

「動けなくなると泣いていたのに、

動かないように願っているなんてアホみたいね」と笑うTさんの

笑顔が不自然だったのはリウマチのせいだけではなかった。

長年介護職をしていると利用者の現状と課題が

自分の中である程度パターン化され「人」ではなく

「症状」と「必要なケア」のみを把握し、

そこに至るまでの過程や心情を見ない事がある。

しかし、それらを見ずに利用者と病との「共生」を手伝う事は、

性格の「矯正」と職員都合の「強制」を生むだけで、

過程と心情を知る為には本人やその家族とのコミュニケーションが必要であり、

また、唯一の方法であると思う。

Tさんは何故あの様な生活を送ったのだろうか?

今日接する利用者の過程や心情をほんの少しでも良いので考えてみて下さい。

僕達も9~12年不健康で不自由な生活を送るのだから…

それにしても「健康寿命」という表現はセンスがない。

寿命なんてついていたらネガティブなイメージを生む。

この「表現の仕方」は意外と重要だ。

同じ事をしていても昔は「純愛」と表し、今は「ストーカー」と表すようにだ。

例えば「暴走族」を「おならブーブー団」に変えたら、

「私の彼氏おならブーブー団に入っていて…」とか恥ずかしいし減ると思う。

障害児は「ユニークキッズ」の方がポジティブだし、

老衰は「完遂」の方が頑張った気がするし、

「健康寿命」も「常忙期」に変えて、残りは自分らしくのんびりと…

ってイメージにしたらいいのに。

「Tさんは50代でリウマチを発症し、

少しずつ身体の自由を失い常忙期を終えた」

の方が絶対いいと思う。

                                                                                おしまい

「あたり前田のクラッカー」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

え?どーせ今日も委員会の時配布したコラムだろって…

正解!あたり前田のクラッカーです!

ということで、ひまつぶしにどうぞ♡

委 員 会 が 始 ま る ま で の 暇 つ ぶ し コ ラ ム

      『あたり前田のクラッカー』

学生の頃の年配の先生や「ちびまる子ちゃん」のお父さんなんかが

「当然」という事に使う定番のギャグ(?)

「あたり前田のクラッカー」

聞いた事はあれど、そのクラッカーが食べ物なのか、

パーティーの時に鳴らすアレの事か、

アメリカのパチパチさせて遊ぶアレの事なのか、

英語のクラップ(拍手)を指しているのかは知らなかったのですが、

先日スーパーで偶然見つけたのです。

えっ!!食べ物の事だったの!?と、40歳にして謎が解けました。

何で解ったのかって?だってパッケージに

“あたり前田のクラッカー”って書いてあるんですもの。

これの事かぁーなんて思って食べてみたのですが、

そりゃあもう、まごう事無く、クラッカー。

それ以上でも以下でもない、正真正銘フツーのクラッカーだった。

シンプルなだけに腹減ってたら無限に食べられちゃうなんて思いましたが、

10代~20代は色んなおかしを知ってるだけに、

少しパンチがないと感じるのではないだろうか。

世代によって好みは違うしね。

そういえばこの間、ネットに

“世界の寄食(気持ち悪い、食べたくない)ランキング”ってのがあって、

アフリカとか東南アジアなんかも含めた世界中の料理のトップ10ですよ、

そのトップ10になんと、

日本食の白子とナマコの2つもランクインしていたのです。

あんなに旨いのに…そもそも「食材」ではないらしい。

ちなみに1位はスウェーデンの腐った魚料理でした。(名前忘れた…)

まぁお風呂に入ってまず身体から洗う人もいますし、

頭から洗う人もいますよね。

自分が「当たり前」と思っている事が、

違う人・違う所では全くそうではないという事は多いんだと思います。

介護だって移乗介助時、梅林園では相手の両足の間に足を入れ、

持ち上げて行うのが主流ですが、全国的には相手の足の外側に足を置き、

重心を移動させる方法が主流だったりします。

「車椅子は移動手段であり、目的地では椅子へ乗せかえる」という考えのもと、

食堂でもリビングでも、椅子に都度座り替える事が当然という施設って結構あります。

「座位がとれたら個浴」という施設も多く、

そもそも特浴やリフト浴のない施設すらあります。

当たり前にしている事は(自分にとっては)という一文がつく事を忘れてはいけないのです。

一度皆さんが「普通」に「当然」のごとくしている仕事を

色んな視点で振り返ってみても良いかも知れませんね。

もしかしたらそれは「悪しき習慣」だった、という事もあるかもしれません。

…そうは言っても他人の常識が理解出来ず、

「一般的」にそんな事しないのは「常識」でしょ!!って思ってしまう時はあります。

先日コンビニでフランクフルトを1本注文したら、

店員が「袋要りますか」って聞くから「結構です」と断ったんです。

そしたらその店員、レジ横にあるケースからトングでフランクフルトを1本取り出し

「どーぞ」と渡してきた…

よーし!!僕は今からズボンのポケットから財布を出し、お金を払い、

おつりを受け取り、サイフをしまうという動作を片手でやりまーす…って

なんでやねん!アホか!

仕方なく、マフィアのボスが葉巻をくわえるがごとく、フランクフルトを口にくわえて支払を行った。

世の中には色んな当たり前だのクラッカーがある。

おしまい

「ヒューリスティック」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

今回も委員会で配布したコラムを掲載するのですが、

なんだか途中から嫁さんへの愚痴みたいになっちゃってますが…

ひまつぶしにどうぞ♡

委 員 会 が 始 ま る ま で の 暇 つ ぶ し コ ラ ム

    『ヒューリスティック』

10月は誤薬防止月間です。

初めに言っておきますが、人は必ずミスをします。

人はミスをする時必ず「思い込み」

そして「勘違い」をするという流れがおきます。

思い込みと勘違いは同じ意味だと捉えがちですが、

それこそ勘違いです。

どちらも信じ込んでしまうという所は共通ですが、

「この道は子供がよく飛び出してくる」と

思い込む事はミスを防げます。

つまり上向き

「間違った思い込みが勘違いを生みミスをする」という事です。

皆さんは日本にコンビニと美容院どちらの方が多くあると思いますか?

コンビニと答える人が多いでしょう。

それは皆さんがコンビニをよく利用し、よく見かけるから

そう思い込むだけで、実際は美容院の方が多いのです。

他にも、マカオの人口は500万人より多いか少ないかと質問をした後に、

「では何人だと思いますか?」

と質問すると、500万人位が妥当なラインだという経験と知識があるので、

400万~600万人のあたりで答えるでしょう。

しかし、初めの質問を50万人より多いか少ないかと質問していたら、

何人だと思うという質問には40万人~60万人のあたりで答えるでしょう。

金髪で白人であったり、見た目が外国人だったら

英語を話せると思ってしまいますが、

実は日本人で英語が話せないかもしれないし、

フランス人で英語は話せないかもしれない…

…というように、経験や先入観で答えを導き出そうとする事を

『ヒューリスティック』というのですが、

それが間違った思い込みを生みだしてしまう事がある訳です。

僕はあまりハムを買った経験がないので、

1パック600円だと「高い」と思い買いません。

だってビッグマックのセット平日なら550円ですから。

しかし、値札の所に“通常価格1000円の所、

特別に600円”となっていたら「安い」となります。

だって400円引きですから、

ビッグマックのセットに

シャカチキ(120円)とナゲット(190円)をつけるよりも

お得な訳ですからね。

同じ1パック600円のハムでも、得られた情報と持っている経験で

「高い」「安い」の判断が変わるのです。

「大葉はこんなにイラン」とか

「大根は半分でよかった」とか

「このサイズだと玉ねぎ1個じゃ足りない」とか、

買い物の後で文句を言うのではなく、

適切な判断が出来る情報を事前に与えるべきなのです。

経験値は人それぞれなのですから。

「ネギ」とだけ書かれても白?青?九条?となります。

「今日お鍋って言ったじゃん」

いやこちとら、お鍋に何ネギが入っているか知らんし!!

ローリエに至っては野菜かどうかも解らん。

「帰りにユタカ寄ってエスプリークのアイブロウ(ブラウン)も」って、

もはや今日中には帰れません。

(ハッ!!気が付いたら嫁さんへのグチになってる…)

まぁ何が言いたいかというと、間違った思い込みをする時は

「急いでいる時」

「過信、油断している時」

「余裕がない時」等、

その時の当事者や周りの状況による事が多いのですが、

中にはキチンとした情報を事前に伝える事で、

次の状況を予測し適切な答えを導き出せる

ヒューリスティックが良い方向に働き、ミスを防げるだけでなく、

より成果を挙げる事が出来るという事です。

皆さんも、ズッキーニの買い物を頼んだ時、

無かったから良かれと思って

似ているキュウリを買って来たとしても怒るのではなく、

『あぁ「フライパンでチーズと焼くし、無かったら別に買わなくてもいいよ」と

事前に伝えなかった私が悪いのね、これは防げたミスね』という風に

考えられたら家庭の平和は守られますし、仕事にも応用出来るという訳です。

(おしまい)

(おまけ)

失敗も経験となり学びなのだ。

「じゃがいも」は「北あかり」買っといたら大体いけるし、

玉ねぎは多目でもOK、タマゴははしごしてでも買う。

で、肉類は値段よりも国産かどうか。

あと、「店員に聞いた」という保険には必ず入っておく事!!

                     おしまい

「フィードバック」

介護職(男性)が日々感じた事を話す、略して「介男話」です。

またまた、委員会にて配布したコラムを掲載します。

僕の悲しい思い出についてです。ひまつぶしにどうぞ♡

委 員 会 が 始 ま る ま で の 暇 つ ぶ し コ ラ ム

     『フィードバック』

 皆さんは「フィードバック」という言葉を御存知でしょうか?

フィードバックを上手く行える事は指導者として必要なスキルで、

人からフィードバックを受けるという事は、仕事のみならず、

自らを成長させる手助けとなるのです。

知っている人も多いと思うので簡単に説明すると、

砲撃手がミサイルを目標に向かってドーンと打ち、第三者が、

着弾点が「目標から西に◯◯フィード、北に△△フィードずれている」と伝え、

砲撃手がそれを元に修正し目標に弾を当てるという事で、

実行した事のズレを伝え、そのズレを自ら修正させる事で成功に導き、

結果として成長させるという事をフィードバックといいます。

5月初旬、長女が11歳の誕生日を迎えたが、僕はビックリした。

プレゼントは服を自分で選んで買いたいと言うのだ。

もうオモチャよりも自分を着飾る物が欲しいという年頃に成長してしまった。

もちろんコロナの影響で買い物には行けないから、

娘は僕のスマホを使ってAmazonの奥地へ冒険に行ったのだが、

楽しそうに選んでいる娘を見ていると、ふと「ある出来事」を思い出した。

僕が中学1年になった春、母が僕に

「そろそろ自分の服は自分で選びなさい」とお金を渡してきた。

これまでは母がイトーヨーカドーで買った服を着ていた訳だが、

何だか大人になった気がして嬉しくて、

僕の考え得る最高のオシャレスポットである「ジーンズメイト」へ向かった。

オシャレな洋楽が僕を迎え、店員が全員サーファーに見える。

ズラリと並んだオシャレな服の中から必死にコーディネートを考え服を買った。

すごく気に入って、しょっちゅうその服を着て、

意味もなく当時好きだった子の近所をウロウロしたりしていた。

夏休みとなり、車で田舎へ帰省する途中、僕はトイレがしたくなって

サービスエリアに寄ってもらった。車から降りてトイレに行こうとすると、

母が「姉もついでに行っとき」と言ったが、

姉は「イヤだ、だって介男の服ダサすぎて恥ずかしい!」と言った。

僕はカチンときて、「はぁ!?」と返すと、

母が「いいのよ、介男が自分で選んだんだから」と姉に言った。

その瞬間、僕は母の「いいのよ」の前にあるであろう

“ダサくても”という言葉を読み取り、衝撃を受けた。

1人でトイレに行き鏡を見ると、最高にオシャレだと思っていた魔法は解け、

メッシュのVネックTシャツに

七分丈のダボッとしたデニムを履いた短足のブ男が映っていた。

「あぁ…俺は元々の見た目が悪い上にオシャレのセンスもないな」と心から思った。

車に戻ると「眠たいから寝る」と訳の分からん理由を言って、

鞄からパジャマを取り出し車内で着替え、ふて寝した。

その日から僕はオシャレを諦め、今でも嫁さんに選んでもらっている。

もし初めて1人で買いに行ったあの日に母が

「このメッシュは下に何か着た方が良い」とか

「短足は七分丈はやめた方がいい」と

フィードバックしてくれたらズレを修正し成長したかも知れないのに

「アラ!ダサい!!でも介男が自分で選んだんだし黙っておこう♡」と思った母は

本当にアホだ。

「あの服」を着て当時流行っていた「ボディーガード」の

ケビン・コスナーを意識して眉間に皺を寄せ、

公園に座っていた僕は決してアホではなく、

母のフィードバックを受ける事が出来なかった被害者なのだ。

もし部下や同僚等の仕事がズレていたら、その人の成長の為に

フィードバックをしてあげて下さい。

もし上司や同僚から指摘や文句を言われてもフィードバックを受けたと考え、

自分の成長に繋げて下さい。完璧な人間なんて居ないから「出来ない事」は当然あります。

だけど「出来ないままにしない事」が大切なのです。

フォローしてもらいながらフィードバックを受け、出来るようになったら

「出来ない人」のフィードバックをする。

だから「出来ない」で悩まず、周囲からの指摘を恐れず頑張りましょう。

ひょんな事で魔法が解け、真実が見える事があるかも知れないから…

そんな事を考えながら僕は、必死に服を選ぶ娘がもしズレていたら

しっかりとフィードバックしてやろうと待っている。

俺は母とは違う。

ひーちゃん、いつでも父ちゃんに聞きなさい…

(ナレーター)

そう考え「父ちゃんコレどう思う」をひたすら待つ父であったが、

その質問が来る事はなく、後日、嫁さんと娘で相談して買った服が、

どさくさにまぎれた嫁さんの服と一緒に届いたのであった…

おしまい